大阪遠征第1段 末吉橋

水の都と言えば、皆さんはどこを想像するでしょうか?
ヴェネツィア?アムステルダム?バンコク?
いや、やはり日本人ならここでしょう。

大阪市(おおさかし)

古くは難波宮が置かれたまさに「都」であり、発展により開削が進みさらに水路が増え、「八百八橋」と呼ばれるほど橋の多い街となりました。
まぁ実際は江戸の方が多かったとの研究もありますが、商人たちが自分たちの財力で橋を架けたことで、そのものに対する愛着もより深かったのでしょう。

その八百八橋を小出しにしようという今回の企画。
さっそく行きましょう。
レポスタート!
このブログ始まって初の大都会!!
いやぁ道を趣味とする以上、都会ももちろん守備範囲内ではありますが、やはりオブローダー側に片足突っ込んでると出てくる機会も少ないわけで。
過去の大阪遠征もこんなのとかこんなのだったので・・・。

目的の橋はどこかって?
写ってますよ、すでに。

末吉橋(すえよしばし)

幅広すぎて橋に見えない!
これも都会の橋だからこそと言えるかもしれません。
特徴的な親柱。
しかし都会の橋は新しくても凝った意匠なものもあるので、これだけで古いとは判断できません。
しかしこの橋、起源を辿ると江戸時代初期からかけられていた歴史のある重鎮です。
もはやこの橋が何代目化すら定かではないのですが、現在のこの橋自体も大変古いもの。

昭和2年竣工

戦前どころじゃなく、ある意味大正に片足突っ込んでます。
もちろん各幅はされているので昭和2年の姿そのものではありませんが、それでも古い。
ちなみに各幅されたのは昭和46年、それまでは27.3mだった幅を33.5mにするものだったそうです。
27.3mってそれでも結構広いんですが・・・。
日本橋の幅員が現状28mだし・・・。
橋がかかる川の名前です。

東横堀川(ひがしよこほりがわ)

豊臣秀吉の命により開削された運河の一つで、下流に行くとかの有名な道頓堀川となります。


しかし、あくまで個人的な感想としては・・・。
この川に飛び込む人の気がしれないな・・・。
まぁこれも大阪の景色の一つですよね・・・。
加湿器要らずな立地です。
形式としては一種の閉腹アーチ橋ですね。
広さの割には欄干が中央に集まっているのでめっちゃ口がデカい人みたいにも見ます。
おおお!!

アクアライナーだ!!


しかし思いのほかギリギリですね。
これ一回乗ってみたいんだよなぁ。
時間があるときにね・・・。
アクアライナーが通るからこそある、橋中腹の扁額。
こういう気遣いは嬉しいですね。
そして意匠もかっこいいな・・・。
そして望遠で見てたら発見。
あの奥のアーチが昭和2年竣工の旧末吉橋だよね??

手前の配水管を避けるための緩やかめのアーチ設計だったわけですか。
このおかげで完全に旧橋の痕跡が消えずに残っているというのは、素晴らしい。
ナイス排水管!!
再び袂に戻ってきました。
これから僕はこれから研修なので、そろそろ行かねばならんのですが・・・。

そんな時に限って見つけちゃうんですよね。
怪しい道。
奥の虎ガードが気になっちゃったわけですよ。
これはむしろ僕の得意分野だな。
この封鎖のされ方は結構マジっぽい。
そう、つまりは・・・、

廃遊歩道!!

道自体はそれほど古いものではありませんが、こういう都会で見る廃道に若干テンションが上がりました。
しかし今日は研修、こんなところで不審者として職質を受けてはいられない。
ここには多分また来るので(仕事で)、探索の機会はまたの機会に譲るとしましょう。
しかしここ、ぷーさんとかハッチとかはいないだろうけど、怖いお兄さんはいそうだよね。
田舎もんはそっちの方が怖いかもしれん・・・。
さて、橋を渡ってそろそろ研修行こう・・・。
ん・・・?

あれは・・・!!

アーチ橋!!

しかも古そうだ・・・!!

あ・・・足が勝手に!!

とりあえず・・・

大阪遠征第1弾 末吉橋編

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