金ヶ崎山トンネル
金ヶ崎
歴史が好きな方はご存知かもしれませんが、織田信長が朝倉義景を攻めた際、浅井長政の裏切りに会い、後の豊臣秀吉である木下藤吉郎をしんがりとして退却戦を繰り広げた、「小豆袋」の逸話でも有名な戦い「金ヶ崎の退き口」の舞台です。
この金ヶ崎山の頂上にはかつての金ヶ崎城跡があり、隣の手筒山城と共に越前の国の最前線でした。
現在この山を貫くトンネル隧道は新旧廃合わせて、5本。
標高86mの山としては、意外なほどの多さと言えます。
それだけ急峻な山ということですね。
城を作るには、さぞ都合がよかったことでしょう。
写真正面の山が金ヶ崎山です。
そして正面に突っ切る道は、旧国道8号(東浦道)。
つまりこの先カーブを曲がった先に、あの金ヶ崎隧道が待っているというわけです。
そして最初の写真にも映っていた踏切。
これはJR北陸本線唯一の支線。
通称「敦賀港線」です。
現在は廃止されたわけではなく休止扱いのようですが、この休止扱いが解除される日は来るのか。
敦賀港の命運がそのまま、敦賀港線にも当てはまります。
※2019年4月1日をもって正式に廃線となりました。
実はこの敦賀港線、北陸最古の鉄道でして、沿線にはその歴史を物語る建造物が多く残っています。
写真はその一つランプ小屋。
宣伝下手な敦賀市、もうちょっと頑張れば鉄道マニアをもっと引っ張れそうな気がするんだけどなぁ。
車ではこれ以上乗り入れることは不可能なので、
金ヶ崎隧道の探索の際にもお世話になった、金ヶ崎宮の駐車場に車を置いて先へ進みます。
金ヶ崎宮は恋の社として、有名です。
恋愛成就のお願いは是非、金ヶ崎宮へ!
そのまま金ヶ崎宮の参道に沿って歩いてくと、敦賀港駅の方に下っていく道があります。
参道の勾配がここから桁違いに上がるので、実際訪ねる際はわかりやすいです。
道を下るとそこは、敦賀港駅の構内でした。
そして今回の目的「金ヶ崎山トンネル」はこの敦賀港線にあるのではなく、敦賀港線からさらに分かれる専用線にあったのです!
もしこの写真からその専用線(廃線)の痕跡を見いだせたなら、あなたは立派なオブローダー!
正解は奥に見えたカーブにぶつかる平場。見えますか?
写真は上の平場から敦賀港線を写したものです。
こうみると人工的な平場がカーブにぶつかる様子がよくわかるかと思います。
そして振り返ればそこには・・・、
どん!!見えねえ!!!
木、邪魔だよ!!
いつごろ廃止されたのかは、調べが及びませんでしたが、
少なくとも10年内ではなさそう。
失礼しました。
それではちゃんと!
どん!!!
坑口が翼壁に対して斜に出てくる、特殊な構造。
これのおかげで、角度によっては見つけにくいトンネルとなっています。
しかし出口付近の藪化は酷い。
あと数年もすれば、完璧に隠してしまいそうな勢いです。
中は倉庫として使われているのか、枕木らしきものが重ねて保管してありました。
そしてびっくり!
レール敷いたまま!?
マジかよ・・・。
廃線でレールが残ってるなんて相当なレアだぞ・・・。
もしかしてだけど、この専用線て廃止じゃなくて休止なの?
これは調べてもわかりませんでした。
敦賀セメントの社員の方、もし差し支えなければ教えてください!
敦賀唯一の廃トンネル、「金ヶ崎山トンネル」
謎多きこのトンネルについて何かしらの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください!
どんなものでもお待ちしています。
よろしくお願いします。
以上、金ヶ崎山トンネル編
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