第2次三重遠征第2弾 庄堺橋 後編
振り返り見た庄堺橋、ここで一気に気持ちと体に余裕が生まれます。
なぜならここから先は・・・、
いきなり現実に引き戻しにきやがった!!
なんだこの橋!
キカイダーみたいな外見しやがって!
この橋に何があった!?
これ以上なく唐突に迎えられる木製路盤の終焉。
怖かったけど楽しかった旅はここまで、ここからは歴史分析を開始します。
調べてみたところ、この庄堺橋は3度の流失を経験しています。
初代は簡単な木橋。
二代目は不詳ですが、恐らく三代目に近い姿だったと思われます。
三代目はコンクリート骨格の木材床版。
四代目(現状)はコンクリートガーダー橋です。
特に三代目は直してから、わずか1年でかの伊勢湾台風により破壊された悲運の橋。
この橋は四代目、つまりコンクリートガーダー橋のはずですが、前編の状況は明らかに三代目のすがた。
ここから考えられることは・・・
この橋一年しか使ってないのに全面改修するの面倒だし、
使える部分は使っちゃおうぜ!!
リサイクルされた橋・・・、まぁ確かに1年じゃ勿体ないけど・・・。
反対側も普通に道は続いています。
アスファルト舗装されているので、確実に過去には車両が通行した時代があったということ。
先は彦根市道に接続しているようです。
この道の完全廃道化は意外とつい最近なんですが、車両が通った最終年は開出今橋が開通した平成12年と見るのが無難でしょう。
ということはあの道路標識(判別不可)は13年であれだけ錆びたということでしょうか?
海からも遠い滋賀の中央部でなぜ??
いい。
木製床版じゃなくてもこの狭さ、この雰囲気、とても好感が持てます。
いい!
向こうから着物を着て和傘を指した女性が歩いてきそう。
・・・まぁそんなの見たら尻尾巻いて逃げだしますが・・・。
明らかにこの橋の為に立てられた道路標識。
現在は頭が剥ぎ取られていましたが、この道が彦根市道であることを示す証拠を残していました。
上記した完全廃道化は意外なことに2009年。
わずか4年前の出来事だったようです。
9年間は歩行者用橋として余生を送った庄堺橋、この標識も車両通行止めの標識だったことが確認できています。
しかし木製床版はわずか4年でここまで脆くなるんですね。
現存木橋が少ない理由がよくわかりました・・・。
最後に、庄堺橋の東隣、南青柳橋から撮った一枚。
しかし彦根市の市街地にこんなガチ廃橋が眠っていたとは・・・。
この世界もまだまだ奥が深いです。
以上、第2次三重遠征第2段 庄堺橋編
0コメント