第3次京都遠征第4弾 白鳥峠
引っ越し作業が厄介すぎる!!
もっと簡単に引っ越せるところはあったんですが、個人的にこのameba owndが一番しっくりきまして。
しかし自分で選んだ道、最後まできっちり引っ越します!
とはいえ、年の最後くらい新ネタ持ってこないといけないでしょ。
今年はまとめるほど紹介できていませんので、2020年総まとめと一緒にやらせていただきます!
それではレポスタート!
京都府道28号小倉西舞鶴線
(おぐらにしまいづるせん)
主要地方道として国道27号を補完する使命を帯びた道です。
さすがの交通量と言うべきでしょう。
当サイトのレポではなかなか見られない交通状況です。
正直こういう方がしんどい・・・。
立派な橋を越えていきます。
二ツ橋(ふたつはし)
伊佐津川(いさつがわ)を渡る橋ですね。
それ以外特にコメントもありませんが・・・。
一見すると現代的な道ですが、実際はかなり由緒のある街道です。
この道の別名が今回紹介する峠由来。
非常に美しい「舞鶴」という都市名にもつながる由緒ある名前を持っているのです。
白鳥街道(しらとりかいどう)
まさに舞鶴という都市名にふさわしい街道です。
現在でこそ一つの市であるこのまちは、1943年まで全く違う歴史を持った2つの市でした。
もともと田辺藩の城下町であった西舞鶴には舞鶴町がありましたが、東舞鶴で軍港が整備され発展が進むと新舞鶴町が生まれ、意識しあう関係となっていたようです。
その西舞鶴エリアと東舞鶴エリアを隔てていたのが今回紹介するこの峠。
いよいよ山裾が近づいてきて、峠道と呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出してきました。
正面に見える鞍部こそが目標、かつては人しか通れない獣道だったともいわれていますが、現在は現代交通を担う重要な存在です。
むしろ4車線化が叫ばれてるんだとか。
確変した峠というのはたまにありますね。
そしてこの交通状況はありのままの峠の姿でいさせては貰えませんでした。
それもかなり昔から。
白鳥隧道(しらとりずいどう)
昭和26年竣工という戦後直後のお生まれです。
もちろん、補修は入っているでしょうが、かなりのお歳ですね。
扁額には「双鶴通洞」と刻まれています。
東舞鶴と西舞鶴を繋ぐ、歴史の重みを感じます。
この白鳥隧道は実は旧道の存在を確認しています。
これは次回の宿題として、今回は素直に峠を下るとしましょう。
標高84mの白鳥峠、トンネルでさらに低くなっているので麓はすぐそこです。
現国道27号が軍用道路として一般車両が通行できなかった時、こちらの道がメインとなっていたというのも納得のいく話です。
その時は当然旧道だったでしょうが。
そして再び混雑が始まりました。
しかしこちらは東舞鶴側。
かつては別のまちだった市街地です。
ここで別の県道とぶつかりました。
このあたりで今回のレポは閉じたいと思います。
京都府道51号舞鶴和知線(まいづるわちせん)
そう、菅坂峠の奴ですよ。
次はお前だ!
以上、白鳥峠編
続
さて、今年はかなりイレギュラーな一年となってしまいました。
もちろん探索にも行っていますので、ネタはちゃんとあるんですが、12月15日までに移行しなければいけなかったというのが大きかった。
まだリンクや画像が完璧にリンクしておりませんので、ご迷惑をおかけしますが、来年中にはしっかりとした形にまとめたいと思っています。
愛想尽かさず、来年もぜひ見に来てくださいね。
それでは皆様、2019年もありがとうございました。
4コメント
2020.01.08 02:02
2020.01.02 09:00
2019.12.29 07:52