旧国道27号 丹後街道 敦賀市内 後編

前編でぶつかった道は自身の後輩に当たる道。

旧国道27号

福井県道225号敦賀美浜線

(つるがみはません)


そう、後輩自身も旧道となっています。
もちろん見ての通り現役ですが。
敦賀駅前通りである福井県道13号敦賀停車場線(つるがていしゃじょうせん)、福井県道33号佐田竹波敦賀線、そして県道225号の起点となっている国道8号現道白銀交差点の直ぐ近く。
交通量はいつも通り多いです。
そしてここには立派な地蔵堂がありました。
そして向きは県道225号ではなく、こちらを向いているというのがポイントです。
ここがかつて他の道よりも重要な道だったという重要な生き証人ですね。
県道225号を過ぎると、道は街道の雰囲気を失います。
これは開発が進んだからなのか、実は違うルートだったのか。
謎が残ります。
周囲には痕跡はありませんが、この道のくねくねした感じは現代の道には無いものです。
かつてあった起伏や泉を避ける古い道の特徴が見られます。
ここで大きめの市道とぶつかります。
その奥には石碑(?)がありますが、道関係のものではなかったと記憶しています。
しかしこういう古いものがあるということは・・・?
という憶測は出来ますが。
ここで道の雰囲気が変わりました。
奥に見える空間の広がりは、道好きなら何があるか容易に想像がつくものですよね。

笙ノ川(しょうのかわ)

敦賀市最大の河川にして二級河川の本流です。
敦賀市をほぼ南北に流れるこの川をどう越えるか、ほぼ東から西に向かう丹後街道がいつかぶつかる課題だったわけです。
急カーブの先は中空ですが、このスペースが怪しい・・・。
これってさ・・・、

橋台の跡なんじゃないの??

ここ・・・渡れたのか・・・?
ここは正に手前の笙ノ川本流に奥の黒河川が合流する地点。
ある意味川が最も暴れるこの地点でわざわざ架橋するかという疑問があります。
この二股の真ん中に橋脚を置いてあればいけるのか・・・?
何はともあれワープ!!
対岸から先ほどの地点に橋台の痕跡を探します。
しかし現代的な護岸工事が施され、その痕跡はなかなか見つかりません。
ちなみに・・・、
疑定地はここ。
ちょっと怪しい雰囲気はありますね・・・。
よくわからないコンクリ片もありますが、あれはきっと護岸工事の関係だろうなぁ。
しかし木が邪魔。
丁度あの裏あたりが見たい。
メインカメラが逝っていたこの日、スマホカメラの望遠ではこれが限界(汗。
なんもわからないな・・・。
夢はあくまで夢なのか。
机上調査続行中です。
さて橋があったと仮定した場合、その反対にも当然道はあってしかるべきです。
その反対側には堤防の関係で無理やり感のある接続となった道がありました。
これを旧道と仮定し、探索を続行します。
恐らくこの辺り、新しい住宅街が多く建設されているので街道の痕跡は道自体も含めてほとんど残されていません。
仕方ないので一番近いと思われるルートを通っていきましょう。
ちなみに正面に旧道は伸びていたと見られますが、思いっきりふさがれてますね。
一旦、右の市道に避難します。
脇の市道もなんか現代的な雰囲気。
街道の面影はありません。
大き目の市道と交差します。
個人的にはこの辺りから、道は本来の街道の位置とリンクしだすと考えています。
道の雰囲気がね、そんな感じです。
細かくはいえませんが・・・。

そしてそのタイミングで道幅が狭まるので片側1方通行の餌食に。
とりあえず迂回しましょう。
ここが新旧合流地点と疑っています。
ここは現国道27号である金山バイパスの直ぐ東側。
信号より先は福井県道225号がその足跡を辿ります。

そしてこの手前の右から来る道が街道の疑いあり。
右折です!
笙ノ川の支流である助高川(すけたかがわ)沿いに道は続いています。
これも古い街道の特徴の一つ。
川沿いの道は疑いありです。
このグネグネ道は街道っぽいですよね。
一方通行の道は住宅街をすり抜けていきます。
周囲の住宅も他より古い印象を受けるのも印象的です。
そしてこの交差点に帰ってきて全区間の終了です。
最後に地図で振り返ってみましょうか。
これが全体図です。
交通の要衝である敦賀市は複雑に街道が絡み合っています。
丹後街道はこのまま若狭を抜けて、その名の通り丹後(舞鶴市)を目指します。
若狭の旧27号も、来年は掘り起こして生きますよ!

以上、旧国道27号 若狭街道 敦賀市内編

この道往けば act2

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