旧国道27号 丹後街道 敦賀市内 前編

旧国道8号シリーズを開始してからずっと温めていました。
福井県のもう一つの幹線の旧道シリーズ。
しかし同じ旧1級国道でも北陸の大幹線である国道8号とでは、やはい格下となるこの路線。
なかなか探すのに苦労しました。

しかしようやくなんとか公開できるところにまでこぎつけたので、お披露目しましょう。
敦賀市が起点となるこの路線。

国道27号旧道シリーズ!

まずは起点の敦賀市内からレポスタート!

海よ~俺の海よ~♪

やはり海沿いの街道、国道27号の探索の起点はここと致しましょう。
最も古い敦賀港でもある旧笙ノ川河口です。
天然の良港である敦賀港は「敦賀津」として古来からその名が残っています。
それがこの旧笙ノ川河口から松原にかけてのエリアだったといわれており、8世紀には松原客館(まつばらきゃくかん)が設けられ海外からの客をもてなしていたそうです。
現在でこそ漁船のたまり場となっている旧笙ノ川河口部ですが、かつては日本屈指の港でした。
それを示すものが今でも残っています。

須崎の高灯籠(すざきのたかとうろう)

高さ7m程の総石造りの高灯籠。
1802年竣工で、日本海側最古の石積み灯台です。
ここが如何に重要な港だったかよくわかりますね。
県指定の史跡として指定されています。
但し管理者は、土地の所有者である敦賀観光ホテルさんみたいですね。
庄山清兵衛(しょうやませいべえ)さんが建てた灯台は時代を超えて今も残っています。
さて、実はこの道、もう2つ疑いのある道です。
この正面の左右に横切る道、鹿蒜道の疑い大。
左から正面の道に重複する道、旧北陸道の可能性有。

特にこの写真右側に当たる松原地区に入るので、松原客館が置かれたであろうエリアと被ります。
古代松原駅(駅はもともと馬を使うことを許可された駅使が使う馬を飼育したり、乗り換えたり、休憩したりする施設のことですよ)はこのエリアにあったことが想定されているので、やはりこの道が一番可能性が高いのです。
鹿蒜道はこちら、旧北陸道はこちらを参照で・・・。
そう考えるとこんな何の面白みも無い橋も、いったい何代目なんだと言う興味がわきますね。
少なくとも万葉集の時代からあったということは7世紀後半、1300年は経っているということになります。
歴史の不思議ですね・・・。
旧笙ノ川は水路を残し、その痕跡を残すものは河口部のみとなっています。
船溜まりにしか見えませんが、ここはかつて日本有数の港だったのです。
さて、ここまでは国道8号の旧道である塩津街道(敦賀街道)と重複しています。
しかしそこから分かれるのがこの地点です。
奥の青看板?
いえいえ、そう単純にいかないのが街道と言うもの。

こいつが国道27号の前身、丹後街道(若狭街道)の分岐です!

この位置については近くの寺や神社にけっこう詳細に文献が残っていてほぼ間違いないんだそうです。
言われてみれば追分の雰囲気ありますよね。
ここは敦賀市結城町(ゆうきちょう)ですので、結城追分(ゆうきおいわけ)と仮称しましょうか。
敦賀西小学校と結城町郵便局の並びの道へ入ると細いながらも歴史を感じる道に入って生きます。
そしてすぐに信号機。

この道は過去にも何度も登場している道。

福井県道33号佐田竹波敦賀線(さたたけなみつるがせん)
馬背峠レポで何度も登場している道ですね。
ここは終点間際、国道8号にぶつかって終了と言う地点です。
ちなみにこの辺りはかの大谷吉継公の居城だった敦賀城の直ぐ脇だった場所です。
近くの神社には敦賀城の痕跡を知る手がかりが多く残されているとのことで、研究が進められている場所でもあります。
だからこそ街道の傍というのはまちづくりを重視した大谷吉継らしい立地ですね。

八幡神社(はちまんじんじゃ)

市内の神社の中でも非常に古く(気比神宮は別格ですが)、歴史ある神社です。
敦賀城で使われていた欄間などが残されているとのことで、敦賀城との繋がりが指摘される神社の一つです。
この境内の奥がお城だった時代があると思うと不思議な感じがしますね。
ちなみに現在は市立敦賀病院が建っています。
さて、ここで大きめの市道にぶつかりますが、道は相変わらず直進です。
ちなみにこの横断する道はめっちゃ普段使う道だったりします。
そしてここに稲荷神社がありました。
やはり神社仏閣が多いのが街道筋の特徴。
ここは当たりですね。

そしてここは道なりに右折します。
車では右以外に行くのは厳しいです。
古きよき商店が並ぶ昔ながらの道。
いい雰囲気です。
このままどこまでも続きそうな、そんな雰囲気を纏っています。
そして街道は自身の後輩と出会います!

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この道往けば act2

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