京都遠征第2弾 三浜峠

半島は峠の宝庫である

これは我々嶺南の人間には、常識といっていい格言です。
それはなんといっても福井県嶺南地方から京都府北部に繋がる、あの超有名地形のおかげ。

リアス式海岸

現在学校ではリアス海岸と教えられているんだとか。
また学者の間でもリアス式海岸、リア式海岸、リアス海岸が混用されてて一定じゃないんだとか。
面倒なやつです。

このリアス式海岸はもともとⅤ字谷が形成されていた深い谷が沈降、海進が起こり、かつて山の一部だった部分のみが海上に残っている海岸です。
つまり非常に入り組んでいて、鋸の歯のような地形となります。
ちなみに更に沈降すると、鞍部にまで海進が起き、多島海となります。

つまりリアス式海岸の半島とは、かつて山だった部分の山頂付近が残ったもの。
山は山頂付近のほうが当然切り立っていきます。
となればそこを通る道は、当然一筋縄では行かないはず!
ここもそんな峠の一つです。

前置き長くなった・・・。
レポスタート!
もうダメな感じが伝わるスタート・・・。
しかしこの峠がある道は列記とした主要地方道。
けれどなかなか面白い道。

京都府道・福井県道21号舞鶴野原港高浜線

(まいづるのはらこうたかはません)
舞鶴高浜間なら国道27号で事足りるのです。
問題はその間に野原港を挟むというところ。
地図右側にも赤い線が見えていますが、これがこの道の行き先です。
ようするに若狭湾に突出している大浦半島(おおうらはんとう)を周回する路線と言い換えることも出来ます。
まぁこの道の話はちょっとまたじっくりと(笑。
大浦半島とはこんなに山深いところだったのか・・・。
てっきり丘みたいな山が並んでいるのかと。
これから望む山並みを前に若干武者震い。
これは楽しませてくれそうですね。
いかにもこれから山に入りますという線形。
こういう形、大好きです。
カメラには悪そうですが、こういう道は雨も似合いますね。
急に道が広がった!!
なんでだよ!
あの細さが良かったのに!!
入り口が狭くて奥が広いって洞窟じゃないんだからさ。
そういうのは期待しちゃいないんだよ!
さっきまでの期待を返せ!
しかしこの道、実はかなり歴史が古く、大浦半島の東西を結ぶ数少ない道の一つだった歴史があります。
舞鶴市が東西に分かれているのは近畿圏では有名な話ですが、この大浦半島内でも東西に分かれていたとは。
どっちが経済的に優勢化は見るまでもないですが・・・。

強引に登りだした!

いかにも古い道をそのまま広げて舗装した地形。
しかし周囲の木がなんか、公園みたいな感じ・・・。
いやな予感が・・・。
普通、峠は上に行けば行くほど荒れてくるものです。
しかしここは登れば登るほど道が綺麗になっていく・・・。
この右側の感じ・・・。
いや地図を見たときからいやな予感はしたんだよ・・・。
でもまさかこんなに大きいとは・・・。

舞鶴自然文化園(まいづるしぜんぶんかえん)

植物園と屋外遊技場が一体となったような公園施設です。
峠にこういう施設が作られることは案外あります。
堀坂峠とかね。
メタコセイアの並木が印象的。
個人的にはメタコセイア並木といえば、マキノのあれなんですが。
峠にあるのも悪くないですね。

三浜峠、着。

標高203m、半島の峠らしく標高の割りに高さを感じる峠です。
ここには峠らしくいといろいろなものがあります。
まず、若狭湾国定公園の看板がいいですね。
福井県内でもここまでのアピールは見たことないです。
峠には林道の分岐がありました。
これも気になりますが、ここは半島。
それ程長いものではないでしょう。
そしてやっぱこれでしょう!
お地蔵様には手を合わせて旅の安寧を祈ります。
そしてその横に建てられている物は、じっくり読ませていただきたい!

府道開通記念碑

当日は読んだんですが、雨のためか写真では全然読めない・・・。
内容としてはこの先の三浜と小橋の素晴らしい海に向かう道が完成しましたよって内容でした。
よくよく見ると、普通建設者名前が書かれるところに三浜、小橋の集落名が入ってますね。
府道開通記念碑を過ぎると、道は一気に下り始めます。
眼前に広がっていた山は消え、いよいよ景色が変わってきました。

雨やばい

今年は雨に祟られるのか。
このデジカメは生活防水程度なんだから!
勘弁してくれ!
海が近づいてきて一気に下る三浜峠北側。
いいねぇ、こういう景色が見たかった!
敦賀市民の僕としては「みはま」と聞くと、やはり隣の美浜町を思い出してしまいます。
舞鶴の中でもなかなかマイナーな地名なようですが、海水浴客には人気なようです。
遠浅の海か、いいなぁ。
だいぶ降りてきましたがまだくねっています。
やはり200m分下るというのは容易なことではありません。

絶景!!!

沖に浮かぶのは手前からアンジャ島、磯葛島(いそかずらしま)、沖葛島(おきかずらしま)。
アンジャ島は島とは言いつつも、陸繋島(りくけいとう)という種類の岬の一種です。
ちなみにアンジャとは「兄者」が訛ったものらしく、伝染病にかかった兄が隔離されたこの島に向かって弟が「兄者」と叫び続けたのがその名の由来だとか。
なんとも切ない由来です。
海が見えれば峠区間はお仕舞い。
交通規制情報板も現れ、ここからはいよいよ通常区間というわけです。
ここが峠の名前の由来となった三浜集落(みはましゅうらく)。
昭和31年にこの府道が開通するまで、このあたりは正に陸の孤島でした。
そしてその時ほどではありませんが、今もその状況には変わりは内容にも思えます。
まだ道は続きますが、この辺りまでが観光のメインのようなのでそろそろ引き返し、このレポを閉じます。
ちなみにここは小橋(おばせ)集落。
微妙に難読・・・。
先述の3つの島はすべてこの小橋に含まれます。

海の峠と思って訪ねた峠ですが、やはり半島の峠は馬鹿に出来ません。
この数時間後、更にそれを満喫するのですが・・・、それはまたその時にご報告します!

以上、三浜峠編

0コメント

  • 1000 / 1000