伊勢峠 神の座した村編
霧と雨に祟られたこの日。
いつも以上に路肩が怖い。
雨の日は山側が基本ですよ。
お気をつけて。
青々と茂る森を抜ける川沿いの道。
それなりに道幅もあるので景色を楽しめる道です。
このように路肩に余裕がある場所では心が洗われますね。
ここまで来ると川は非常に狭くなり、あのダム湖となった姿からは想像できないような姿となります。
写真の橋は羽見谷橋(はねみだにばし)、羽見谷(はねみだに)と呼ばれる支流に架かる橋です。
そして今度こそ本流を渡ってるんですが・・・
欄干が全て消失して、骨だけになった橋。
名前の判別も出来なさそうです。
そしてここにはお地蔵様がいらっしゃいました。
ここは峠ではありません。
そして特別危険地帯ではありません。
となればお地蔵様が要る理由は一つ。
まだ集落の入り口直後ということもあり植林地が目立ちます。
もともとこの辺りは田んぼや畑があったのでしょうか?
僅かながら現役のような建物もありますが、倉庫のようなものばかりで常住している人はまったくいません。
ダムに沈むわけでなく、県道沿いのこの集落はある意味、人に看取られながら消えていった集落といえるでしょう。
穴馬道の歴史を感じるこの石垣。
しかしここ、実は更に歴史深い伝説が残っているのです。
皆さんも気になったであろうこの「伊勢」という名前。
実はかつてこの地に・・・、
伊勢神宮が鎮座していたことに由来するといわれています。
伊勢神宮といえば三重県伊勢市に存在する日本神道の最高峰。
それがこんな辺鄙な(失礼)なところにあったとはいったいどういうことなのでしょうか。
実は神宮は第10代崇神天皇(すじんてんのう)の頃まで、皇居内にあったと言われています。
その状態を恐れた(歴代天皇が同じ家にいる状態)同天皇が、天照大神や歴代天皇を祭るのにふさわしい場所はどこか娘息子たちに探させたことにより、いわゆる「元伊勢」と呼ばれる地名が各地に残っています。
有名なところでは丹波の国の浜宮などでしょうか。
丹波の国からここに移り、その後奈良へ移動したとのこと。
伊勢集落には3つの字がありました。
上伊勢、中伊勢、下伊勢ですが、先ほどの伊勢ストレートは下伊勢に当たります。
そしてここが伊勢神宮が座していたとされる上伊勢。
今はその面影はありません。
上伊勢を抜けるといよいよ道は本格的な峠道に突入します。
勾配も上がり、登っているという実感もわいてきます。
いよいよ沢筋はその姿を隠しカーブの連続する山岳区間に突入します。
ヘアピンカーブも現れ、峠への期待が高まります。
尾根が迫ってきました。
残りは僅かか・・・。
橋以外の場所で久しぶりのガードロープが現れた!!
急に思いついたのか?
標高があがってきたということなのか?
ダムサイドのほうが怖いんだけど・・・。
しかしどうも標高があがったことが、理由のようです。
道の最高点はもうすぐそこでした。
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