国道161号旧道 疋田区編

皆さんはこの光景を覚えているでしょうか?
ここはかつて国道同士の交差点だった場所、旧国道8号シリーズ記念すべき第1弾でご紹介したものです。
これがこの交差点の詳細です。
今回紹介したい道は国道161号の旧道。

国道161号はかつてこの交差点から重複を離れ、独自路線を取っていました。
ちなみに起点は国道27号と同じく坂ノ下ランプです。

今回はこの先、国道161号の旧道をレポします。
疋田地区ならではの新旧入り混じる旧道。
いざ、レポスタート!
ほぼ同じアングルから始まる今回の探索。
前回はここを左折しましたが、今回はここを直進します。
道路左に見える水路は、実は川ではありません。

敦賀運河疋田船川(ひきたふなかわ)

この水路の完成はなんと江戸時代、1816年に完成した農業用運河です。
疋田船川を遡った米俵は深坂越(ふかさかごえ・レポ未)を越えて、大浦へ運ばれそこから琵琶湖の水運を使って各地へ運ばれました。
かつてここは敦賀市内以上に重要な交通の要衝だったのです。
現在では運河としての機能は無く、もっぱら親水公園のような扱いです。
鉄砲水もないし、いい環境ですね。
現在では左岸は沿道(旧道ではなく親水公園側)の拡幅工事によって削られていますが、右岸は当時のまま。
敦賀市の少しマイナーな観光地となっています。

・・・旧道レポじゃなくて、水路レポになってきたな・・・。
そろそろ話を戻そうか・・・。

石碑!!


これは旧街道の証!
交通の要衝であった何よりの証明です!!

ちなみに行先は右が西京、左が東京でした。
左は琵琶湖方面なので東海道を使って江戸へってのは分かるんですが、右の西京ってどこ??
右は敦賀市内だから・・・、港・・・、まさか中国の西京??
まさかね・・・(汗。

鎖国中だし・・・。

※東京に対応しての西の京、つまり京都の事です。

この辺りには歴史的にも重要な城が多く残っています。

有名どころでは金ヶ崎城なんかは小豆袋の逸話でも有名です。

この疋壇城も室町から安土桃山にかけての時代に名前が出てくるお城です。

残念ながらほぼ何も残っていませんが。

こちらに関しては見た目のインパクトと比較して情報が少ない。

近くにある大岩大権現の関連ですかね。

ちょっと今回、わからない部分が多いですね。

申し訳ありません。

そしてここで旧道は現道と合流・・・


しないんだなこれが。

赤いポールコーンによって進入できないようにされている旧道の先には・・・、

穴!!!

仲良く新旧2つ並んでますが、これは隧道ではありませんね。

いわゆる暗渠、特に新道の方は絵に描いたようなボックスカルバートです。

しかし旧道の方はあえて跨道橋もしくは架道橋と呼びたい雰囲気があります。

でも、彼につけられた名は、これでした。

疋田隧道(ひきたずいどう)

まさかの隧道。

まぁ穴掘って通してれば隧道なので、外れではありませんが。

案外長いしね。

頭上を走るは天下の北陸本線の複線。

それではいざ・・・、入洞!!

右は入洞してるけど、左は入洞してなかったり(笑)


もんの凄いスキューしてるな。

なかなかの角度です。

40度はいってるかな。

疋田隧道は昭和32年竣工、延長35.5mの隧道ですが、洞内は歩道として現役なのでこれといった見どころはありませんでした。

すぐに通り抜けて反対側へ。

そして抜ければすぐに合流です。

振り返って見る高島側のポータル。

やっぱり新道側がだいぶ削られてますね。


昔は歩行者用の押しボタンがあって、これを押すと洞内に歩行者がいる旨が表示されていました。

なにせ幅員は5m、大型車両が通るたびに渋滞が起きてましたから。

歩行者用となったのは2014年の秋。

つい最近の話です。

そしてこちらが疋田隧道を旧道に追いやった張本人。

愛発除雪拡幅(あらちじょせつかくふく)という工事の名のもとに作られたボックスカルバートです。

いや、しかし渋滞解消には大いに役立ってますよ。

ありがたい存在です。

歩道用隧道として生きながらえた疋田隧道。

これでしばらくはその姿を残しておくことができそうです。

・・・遠近法の関係でめっちゃでかい隧道に見えますけど小さいですからね。

念のため・・・。


以上、国道161号旧道 疋田編

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