国道161号旧道 疋田区編
敦賀運河疋田船川(ひきたふなかわ)
石碑!!
鎖国中だし・・・。
※東京に対応しての西の京、つまり京都の事です。
この辺りには歴史的にも重要な城が多く残っています。
有名どころでは金ヶ崎城なんかは小豆袋の逸話でも有名です。
この疋壇城も室町から安土桃山にかけての時代に名前が出てくるお城です。
残念ながらほぼ何も残っていませんが。
こちらに関しては見た目のインパクトと比較して情報が少ない。
近くにある大岩大権現の関連ですかね。
ちょっと今回、わからない部分が多いですね。
申し訳ありません。
そしてここで旧道は現道と合流・・・
しないんだなこれが。
赤いポールコーンによって進入できないようにされている旧道の先には・・・、
穴!!!
仲良く新旧2つ並んでますが、これは隧道ではありませんね。
いわゆる暗渠、特に新道の方は絵に描いたようなボックスカルバートです。
しかし旧道の方はあえて跨道橋もしくは架道橋と呼びたい雰囲気があります。
でも、彼につけられた名は、これでした。
疋田隧道(ひきたずいどう)
まさかの隧道。
まぁ穴掘って通してれば隧道なので、外れではありませんが。
案外長いしね。
頭上を走るは天下の北陸本線の複線。
それではいざ・・・、入洞!!
右は入洞してるけど、左は入洞してなかったり(笑)
もんの凄いスキューしてるな。
なかなかの角度です。
40度はいってるかな。
疋田隧道は昭和32年竣工、延長35.5mの隧道ですが、洞内は歩道として現役なのでこれといった見どころはありませんでした。
すぐに通り抜けて反対側へ。
そして抜ければすぐに合流です。
振り返って見る高島側のポータル。
やっぱり新道側がだいぶ削られてますね。
昔は歩行者用の押しボタンがあって、これを押すと洞内に歩行者がいる旨が表示されていました。
なにせ幅員は5m、大型車両が通るたびに渋滞が起きてましたから。
歩行者用となったのは2014年の秋。
つい最近の話です。
そしてこちらが疋田隧道を旧道に追いやった張本人。
愛発除雪拡幅(あらちじょせつかくふく)という工事の名のもとに作られたボックスカルバートです。
いや、しかし渋滞解消には大いに役立ってますよ。
ありがたい存在です。
歩道用隧道として生きながらえた疋田隧道。
これでしばらくはその姿を残しておくことができそうです。
・・・遠近法の関係でめっちゃでかい隧道に見えますけど小さいですからね。
念のため・・・。
以上、国道161号旧道 疋田編
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