京都遠征第1弾 途中越
世の中には変な地名というのがたくさんあります。
このブログでも過去に「塩坂越(しゃくし)」という全国に誇る難読地名を紹介しました。
今回紹介するのは難読地名ではありません。
恐らく小学校高学年以上なら大概の人は読めるでしょう。
しかしその名が変。
知らない人に言ったら「なにそれ?」となるであろう変な名前。
その名は・・・
途中越(とちゅうごえ)
いったいなにが途中なのか!?
その真意を確かめるレポ。
京都遠征第1弾レポスタート!
見上げればそこには元有料トンネル「途中トンネル」の高架が。
4,5年前はトンネルくぐるのに金を取られる道と呼ばれ敬遠されていた途中越。
今は無料開放されているようです。
さて高架をくぐるとこんな道が。
もちろん高架はランプになっているので、途中トンネルを越えて行くのがノーマルルートです。
しかし、せっかく峠を攻めるのに旧道を使わない手はないでしょう!
相変わらず美しい旧道風景。
実はこの旧道、北近畿在住の人間には有名な旧道でして、上で紹介した途中トンネルが有料だったこともあり、お金をけちる惜しむ人たちはみんなこちらの旧道を利用していたのです。
今は静かな旧道ですが、過去は国道を走る車の半数以上がこちらの旧道を走っていたこともあったのです。
ある意味凄い光景・・・。
さてここである意味本題。
この「途中越」はいったいなぜ、途中などというおかしな名をつけられてしまったのか。
まずはじめにこの峠は昔から途中越えという名であったわけではないということからお話ししなければなりません。
もともとこの辺りは龍華村という集落でした。その為、古来からこの峠は「龍華越」(りゅうげごえ)と呼ばれていたのです。しかし865年に延暦寺に無道寺が開山し、この村が葛川明王院との途中に位置していたことから、「途中村」と名を変えたのが、峠にもそのまま反映されたというわけです。
その為現在でも
「龍華越」
「途中峠」
「橡生越」
(とちゅうごえ・途中はあんまりだということで栃の木にあやかってつけたが、いまいち浸透しなかったらしい)
「龍華橡生」
(りゅうげとちゅう・朽木村の橡生村との差別化を図るために編み出された元も子もない地名、地域住民の苦労がよくわかる)
このように様々な(妙な)別名を持つ峠となっています。
龍華村・・・、かっこいい名前だったのにね・・・。
旧道は途中集落を抜けて、山道に入ります。
それほど長くない旧道ですが、景色はコロコロ変わるので意外と楽しめます。
さてここが新旧合流地点です。
え?峠?まだですよ。
途中トンネルが貫いているのは、集落にはみ出した峰筋なので、峠直下のトンネルではないのです!
混雑緩和が目的だそうですが、有料だったので結局旧道が混雑したという、どうにもならないお話しでした・・・。
曲がった先は近代的な切り通し。
実はこういう風景も意外と嫌いじゃない。
なんかあのロックシェッドなのか何なのかよくわからない構造物がいいのです。
つうかここ以外で見たこと無いんだけど、本当に何なんだろ?
ご存知の方、教えてください!
途中越、着。
不思議な構造物に囲まれた、異空間のような場所です。
これでも1000年以上の歴史を持つ峠なんですよ。
時代に合わせたスタイルということです。
若干先に行きすぎてる気もしますが。
さて峠の下りは楽。
高原型峠ではありませんが、この辺りはすでに京都市北部、標高が高いのです。
下りてきた先にこんな青看板が。
実は途中越の区間は国道477号との重複区間。
そしてこの先の交差点でその重複が終わるのです。
そしてその先にこそ・・・、今回の旅の最大の目的が待っているのです!
以上、途中越編
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