国道305号 越前海岸隧道群 中編
さて前半で場面を国道365号に移した旧道ですが、すぐに別の道に乗り換えます。
その名は福井県道6号福井四ヶ浦線(ふくいしかうらせん)、この道の終点は前回最後に紹介したここ。
つまり国道365号と一瞬重複して終点を迎えるというなんかちょっとしまらない終わり方をします。
このへなへな道が福井県道6号。
滋賀の主要地方道をバカに出来んなこれは。
この県道は国道305号との重複区間を隔てて大きく2つに分かれるのが特徴です。
今回主に登場するのは、重複から終点まで。この区間が全線にわたって国道305号旧道を再利用した区間となっているのです。
そしてすぐにそいつは現れます。
相変わらず短い。
梅浦隧道(うめうらずいどう)
実はこの隧道、最も最後まで国道305号の隧道として利用されてきた隧道です。
県道への格下げはなんと平成3年。
それまでこの素掘り感丸出しの隧道が国道の現役隧道だったというから驚き。
まぁ現在の新道が有料バイパスだったから、旧道も仕方なしに指定しとくってことではあったんですが。
ここでも来ましたヘアピンカーブ!
しかも下は石垣!!
いい雰囲気ですねぇ。
しかしこのいい雰囲気の県道単独区間はそう長く続かず、また現道に吸い込まれます。
正確に言えば海に・・・。
そして、その先に待つものはこの道を語る上で決して避けることが出来ないもの。
玉川岩盤崩落事故
現在、玉川トンネルが通っている地点の旧道で、日本道路史上まれにみる悲惨な事故が起きました。
1989年7月16日15時30分、彦根市から慰安旅行で越前海岸を訪れていた人達15名が乗るマイクロバスが玉川に差し掛かりました。連続するロックシェッドをくぐり抜ける際、凄まじい轟音が響き渡ります。次の瞬間、高さ40m重量推定1500tもの岩盤が崩落し、ロックシェッドを突き破りバスを跡形もなく押しつぶしました。
この事故でバスに乗っていた15名が全員死亡。
しかもその様子はたまたま後ろで景色を撮影していた観光客によって、惨劇の一部始終が撮影されていたのです。
もちろんバスが一瞬で消えてなくなる姿も。
正直、このレポは公開を迷いました。
しかし、僕はそこにあった道がどうなっているのか、忘れ去られたものはどうなっているのかが知りたいのです。
死者を冒涜する気は一切ありません。
しかしもしこのレポを読まれた方で気分を害された方は直ちにコメントをください。
出来る限り早急にその部分は削除いたします。
旧道はいったん玉川トンネルを福井側に抜けてすぐ海側に分岐しています。
簡易なフェンスがあり、轍も残っているので現在も稀に利用されている形跡がありました。
・・・?
旧道に入る手前から見えてたけど、これはなんだろう?
テトラポットには見えないけど??
しばらく行くとロックシェッドが見えてきます。
あの事故を知っていると、普段は安心するロックシェッドを見るのが怖い。
だってロックシェッドがある=ヤバいと自覚してるってことですよ。
早くあの暗がりに行ってしまいたい・・・。
そうこの区間には事故によって現役を退いた唯一の隧道が眠っているのです。
ロックシェッドに挟まれ、いかにも窮屈そうですが。
これでも落石という意味では、この区間最も安全な場所であるとも言えます。
玉川二号隧道(たまかわにごうずいどう)
素掘りにコンクリ吹きつけがこの辺ではデフォだったようです。
しかし素晴らしく保存状態の良い隧道ですね。
トンネルを出てもロックシェッドは連続します。
そして現在は移動されている玉川洞窟観音のロックシェッドに到達しました。
実はこのロックシェッドはかつて隧道だったものが開削されたあとということが後日判明しました。それならもっとちゃんと写真撮ってくりゃ良かった。
玉川一号隧道跡(開削)
しかしなんでこんなにわかりやすく疑う要素があるのに、なにも考えずに通っちゃったんだろう?
まぁそれほど長い隧道ではなかったようですね。
ここがかつて玉川洞窟観音があった海食洞。
主が不在となって、さみしい雰囲気が漂っています。
突然現れた現役施設。
集落排水処理施設のようです。
今までこの道が車一台分通るスペースがあったのは、この施設へのアクセスの為のようです。
どう見ても事故後作られて施設ですが、門が壊れて開けはなしになっていました。
廃墟にも見えましたが、建物に近づくと轟音がしていたので、やはり現役です。
そしてこの先、ここが事故現場。
ここと対岸に見えるロックシェッドの間に見える土の斜面。
あそこに1500tもの岩盤が崩落し、15名の尊い命を奪ったのです。
僕はここには足を踏み入れられませんでした。
冒涜する気は一切ありません。
しかしそれでも、その上を歩くという行為自体が自分の中の一線を越えるものだったから。
あのロックシェッドの反対側は現在の玉川洞窟観音から見ることが出来ます。
僕の主義からは反しますが、ここは目視確認ということで終了といたします。
ちなみに海沿いに見えている橋脚は事故後、1年間だけ存在した緊急迂回路の跡です。
結局、落盤事故以前にあった小規模な崩落事故後、検討された海上道路案は緊急迂回路として、トンネル案は現道として、日の目を見ることとなりました。
なんとも、遅すぎましたね・・・。
人知を越えた自然。
それはときとして実際に人の命を奪います。
景観と安全、両立すべきものであって天秤にかけるものではない。
それを肝に銘じなければなりません。
この写真は逆側、玉川トンネル敦賀側坑口にある玉川洞窟観音から見た事故現場方面。
奥にちらっと見えるのが上のロックシェッドです。
僕の旅はまだ続きます。
しかし今は祈らずにはいられません。
15名の犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
次回は今回の隧道探索で最も苦労した隧道を紹介!
こうご期待!
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