旧国道8号第2弾 麻生口ー新道 明治廃道を往く編
前回ちょっと見栄張って「物凄くわかりやすい旧道見つけた!」みたいな写真を載せましたが、現道から見るとこの道はこんな感じに見えてます。
最大の特徴は現道と道の高さがあってない点、明らかに別の時代の遺物ということがわかります。
絶対、死後50年は経ってるだろこの道!!
落石は珍しくない。
路面に木もまぁいいだろう。
落石の上に木ってどういうダブルパンチだよ!!
石垣発見!!
路傍に円形に組まれた石垣を発見!!
これはますますこの道の正体が「あれ」の可能性が高まってきました・・・。
塩津街道(しおつかいどう)
古くから敦賀は交通の要衝でした。
特に平安時代からは越前、越中、越後、加賀、能登、佐渡の6国からの朝廷への貢物は全て敦賀に集められ、塩津街道から琵琶湖の水運、もしくは西近江路(現国道161号)を利用し、京都へ運ばれました。
もちろん道というのは年代に応じて改良され、その姿を変えていくもの。
現実的に考えてこれが平安時代の道かと問われれば、その可能性は低いでしょう。
恐らくもはや風化して森に帰っていると思われます。
しかしこれが「それに由来する道」であることは確定的。
だってこの辺に石垣が残るほど歴史がある道は他にないですし。
ということはこの道は明治道であることは確定です。
俄然、やる気出てきた!!
廃道は本人がやる気出そうが出すまいが、容赦なくトラップを繰り出してきます。
写真は何でこうなったかわかりませんが、若木を乗り越えたらブレーキチューブとハンドルの間に複雑に枝が絡んできてにっちもさっちもいかなくなったところ。
マジでどうしてこうなった。
そしてその先は・・・、
黄緑色の世界が広がってるよぉ・・・
おっと危ない!
見逃すとこでした!石垣ですよ!!
黄緑の世界をガサガサやってると、危うく見逃しそうなほど風化した石組がありました。
こいつは年代物だなぁ・・・。
しかしこれだけ発見が続くというのも街道筋の特徴。
やっぱここは塩津街道で確定的です!
しかしここは明治の廃道。
廃林道や不通県道などと違って、道路状況が改善することなどあり得ない(どっか別の道に出ない限りは)のです。
何を隠そうこの道、、実は敦賀方面に引き返す形で続いてるんですよね。
つまりは進めば進むだけ自分の首を絞めてるという、マゾ行為を己に課してるわけで。
そして明治道ってのは馬車や猫車などで荷を運ぶ関係上、勾配が緩やかに作られています。
ここもそうですが、明治道は車道には狭いけど、人ひとりに広すぎる。
逆に江戸時代以前の道はとりあえず人が通れればよかったので、狭く急勾配であることが多い。
だからこそ現存する旧街道は明治のものであることが多いのです。
よっぽどの所、(断崖絶壁が多い)以外は江戸道は風化しているか、登山道となっています。
まぁなにはともあれ、現在の現道との比高は・・・、
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