第2次三重遠征第1弾 鈴鹿峠

国道1号

全459本の国道の中で最も若い番号「1」を与えられた日本を代表する道です。

その正体は五街道の一つ「東海道」。

53の宿(いわゆる東海道五十三次)を持ち、江戸幕府により最も頻繁に使われた最主要街道です。


「東海道」として定められたのは江戸時代ですが、徳川家康が制定する以前にももちろんその原型はありました。

古くは飛鳥時代から利用された街道であるとの記述も残っています。

古くから存在する道というのは難所が少ない。

難所が少ないからこそそこに道が出来るのです。


しかし、そんな東海道にも2つの難所がありました。

現在でも「難所」としてその名を知られ、「知っている峠は?」と聞かれればかなりの確率で登場するであろうこれらの峠。

箱根峠と鈴鹿峠

箱根峠(はこねとうげ・レポ未)は標高846m、静岡県と神奈川県の県境に位置する峠です。

ここもいつか行ってみたいですが、何分遠い・・・。

今回紹介するのはもう一つの方です。

それではレポスタート!

ここは三重県亀山市の道の駅「関宿」です。

関宿は東海道五十三次の47番目の宿場で、古代三関の1つ伊勢鈴鹿の関が置かれたことでも有名です。

西の追分(交差点)からは大和街道が、東の追分からは伊勢別街道が別れ、非常に活気ある宿場町でした。

ここを今回のレポのスタート地点とします!

なんか見覚えのある交差点。

そう、ここは第1次三重遠征で紹介した迷走県道、三重県道11号との交差点。

最近は改良が進んでるようですが、あの衝撃の交差点はいつまでも末長く残してほしいものです(笑。

東京や名古屋など大都市に住まれてる方は意外かもしれませんが、天下の国道1号といえど都市部を離れればこんなもんです。

そこらの国道と変わらない長閑な道が続いていました。

そしてここ!

この交差点は見逃せません。

恐らく日本中で唯一といってもいいであろう、2ケタ国道の酷道!

国道25号非名阪との交差点です!

蝙蝠峠編でチラッと登場してますが、ここは近いうちにぜひやらなければ!!

この辺も熱い地域ですね!

国道1号といえど、箱根峠に次ぐ難所と言われるここでは雨量通行規制が敷かれます。

交通量が多いということもあり、過剰な規制かもしれませんが、安全第一ということですね。

錆びたガードレールの先に臨む峰。

あれが鈴鹿山脈の一端です。

鈴鹿山脈は長らく天下の難所と呼ばれ、現在でも通年通行可能なのは国道1号も含めて4本。

国道1号鈴鹿峠
名神高速道路
新名神高速道路
国道421号石榑峠道路

この辺は武平峠編に詳しいです。

「この先急カーブ 走行注意」

そそる看板出してくれるじゃないか!!

そして遂に鈴鹿峠名物(?)へ到着です。

鈴鹿峠へ向かう国道1号はここで上り下りが分離するのです。

高速道路のようなこの仕様。

初めて見たときはさすが国道1号!と思ったもんです。

ここから先は片側1車線ですが、さながら高速道路のようになっていて停車するのもはばかれる状況。

何とか1枚撮りましたが、これも追突されないかハラハラでした。

別に駐停車禁止等の標識はないんですが。

世の中に「○○スカイライン」という道路はたくさんありますが、

名は冠していませんが個人的には 、

これほどスカイラインという言葉が似合う道もそうそうないと思います。

どんだけ険しいんだ、鈴鹿山脈よ・・・。

鈴鹿隧道(すずかずいどう)、着。

余りのんびり撮影してられなかったので、じっくり撮れませんでしたが、扁額には確かに「鈴鹿隧道」と掘られていました。

というのもこの隧道、実は2代目でして、初代はかの村田鶴の作品だったという大変残念な隧道なのです。

在りし日の姿、見たかったなぁ・・・。

三重県側に比べて明らかになだらかな滋賀県側。

そして合流もすぐそこです。


ここで2つ、重要な情報。

古来からの東海道をなぞるのはこれまで走ってきた道ではありません。

というのも今走った道(上り線)は1978年に陸橋を駆使して造られた新道で、下り線が古来の道を改良された道なのです。

そしてさらに重要な情報、古来からの鈴鹿峠は現存します。

東海自然歩道の一部として、オブローダー以外の方も(笑)気軽に訪れられるようです。

これは今後の課題ですね。

赤が今回走行した上りルート。

青が本来の鈴鹿峠道を踏襲する下りルートです。

絶対次回行くからな!

そしてさらに滋賀県側の鈴鹿峠道には坂下宿という東海道五十三次48番目の宿場がありました。

ここは関宿と違い完全に廃れていて、その雰囲気を今に残すものはほとんどないそうです。

これってオブローダー向きじゃない??

空を駆る真新しい道。

アセボ峠編でも紹介した新名神高速道路です。

ここも鈴鹿山脈を貫く「鈴鹿トンネル」がある道ですが、わが鈴鹿隧道が南北に山脈を貫いているのに対し、「鈴鹿トンネル」は東西に貫いています。

トンネル技術の進歩によって超大トンネルが掘れるようになったからこそのルートということですね。

滋賀県側はすぐに人里に到達します。

ここまで来れば僕の目指すゴールまであとわずか。

道の駅 あいの土山

この辺りが東海道五十三次49番目の宿場「土山宿」のあった場所になります。

ここで一つ休憩を挟み、僕は次の探索に備えます。

毎度お決まりとなった(汗)、三重遠征と言っときながら滋賀南部の探索ですが、当ブログ初の分野に挑みます!

こうご期待!


以上、第2次三重遠征第1段鈴鹿峠編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

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