京都遠征第2弾 佐々里峠 後編
春来たら綺麗だろうなぁ。
桜舞い散る坂道。
桜坂はここにあったのか。
しかし峠が連続し鞍馬山の奥深くにある百井峠とは違い、ここは周囲には北の三国岳(959m)、東の峰床山(970m)以外、ここより高い山地もないほどの高所にいます。
高度感、半端ないです。
しかし、もともとここは丹波高地の奥地。
麓の標高でも優に500mは越えています。
つなり峠道はそれほど長くはありません。
佐々里峠、着。
県境を除けば、京都最奥の峠とも呼ばれる峠です。
ここは現在でも京都市と南丹市の市境となっています。
かつては北桑田郡美山町(きたくわたぐんみやまちょう)という町でしたが、2006年にほかの北桑田郡の町と合併し市となることができました。
京都の車道峠には大概あるこの木製の町名板。
京都の雰囲気をよく表していて個人的には好きです。
しかし南丹市の看板に比較して、京都市の看板・・・。
さすが時代を感じますね!(精一杯のフォロー)
そして佐々里峠の象徴。
石室地蔵
僕は今回これが紹介したかった。
石室の中のお地蔵様。
風雨からも守られた、これまで見たお地蔵様の中でもトップクラスの保存状況といえるでしょう。
これを超えるのは片手で数える程度しか知りません。
この石室(とそれに類似する小屋)はかつては京都中の峠にあったものだそうです。
京都に近い峠は簡単な東屋のようなもの、そこから少し山奥に入ると木の板で囲まれた小屋、さらに遠く離れて山深い峠だと、このような石室を作ったとのこと。
標高700mを超えれば当然天候の急変や体調を崩す人も出たことでしょう。
そんな人が安心して一泊できるスペースがこの石室だったのです。
かつてどれだけ越えるのが困難な峠だったかということを今に伝えていますね。
石室のわきには明治に建てられた石碑がありました。
「是ヨリ上 地蔵ノ森」
昔からこの辺りは神聖な森だったのでしょう。
桜並木も峠まではありませんでしたし、古来からの照葉樹の森が続いています。
峠を下り始めると、見るからに古そうな大樹がありました。
きっとこの大樹はあの石室が現役の時からここに立ち続けているのでしょう。
峠の大樹を見ると、いつも心が穏やかになりますね。
僕だけか・・・?
峠は見るからに新しい道路を従えていました。
新しい道では災害を疑ってしまう嫌な自分がいます。
ここはそういうわけでもないようです。
基本的に広河原側の方が急峻らしく、峠らしい峠道で下っていきます。
そして佐々里峠は中央分水嶺。
前編で話した桂川は佐々里峠が源流とされているのです。
そしてこちらの荒れきった沢は中ノ谷川(なかのたにがわ)。
下流で佐々里川(ささりがわ)と合流し、由良川の一部となって日本海に流出します。
すっごく久しぶりに見たヘキサポール。
そしてすっごく久しぶりのストレート。
ここまでくれば峠を下ったも同然です。
しかしこの川があの一級河川の由良川になるんだもんなぁ。
一応ここはもう佐々里川、由良川の本流の上流部に当たります。
佐々里峠は由良川、桂川という2つの1級河川の源流となっている。
これはかなり貴重なことです。
さて久しぶりに別の府道と合流したところでレポを締めさせていただきたいと思います。
京都府道370号佐々里井戸線
(ささりいどせん・レポ未)
ここも当たり前のように分断府道です。
この辺全線つながってる方が少ないんじゃ・・・。
さて、ここから僕は福井に帰らねばなりません。
そこで僕はかつて僕は退けられた一つの峠に目を付けました。
次回はそこをご案内します!
以上、佐々里峠編
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