2014年紀伊半島遠征第1弾 荷坂峠 前編

紀伊半島で最も信頼のおける国道を答えなさい。

この質問における答えは道を趣味とするものなら、皆同じ答えに至るでしょう。

それほど圧倒的な安定感、この道がダメならもう諦めるしかないという紀伊半島交通の背骨。

国道42号

静岡県浜松市(はままつし)を起点に、和歌山県和歌山市(わかやまし)に至る、全路線中8番目の長距離国道です。

しかもこの距離は陸上区間のみの距離となっています。


地図を見てわかるとおり、この国道には海上区間が存在しているのです。

愛知県田原市(たはらし)から三重県鳥羽市(とばし)までの区間で、フェリーが運航しています。

いつになるかはわかりませんが、巨大な橋で接続する計画があるのですが、これができればこれまで遠く感じしていた静岡県と三重県が一気に近づきますね!

東海地方の正に橋渡しとなってもらいたいものです。


そしてこの国道が特に重要となっているのが紀伊半島南部。

高速道路がないこの地域では、国道42号と紀勢本線が正に生命線なのです。

そんな生命線は当然、数知れぬ改良工事が行われています。

今回紹介する峠もそんな中の一つ。

場所は三重県北牟婁郡紀北町(きたむろぐんきほくちょう)と度会郡大紀町(わたらいぐんたいきちょう)の境に位置します。

そして重要な情報、この峠は紀伊半島を世界中に知らしめたアレの一部なのです。

世界遺産 熊野古道

そして峠の名前もそろそろ明かしましょう。

荷坂峠(にさかとうげ)

ちょっと焦らしすぎた!

それではレポスタート!!

荷坂峠の始まりは拍子抜けするほど唐突に始まりました。

国道42号の直線的な線形のまま、突入します。

写真の看板がなければ、気づかず峠に至っていたかもしれません。

そして現在の峠に到着。

峠間近になるまで、気づかなかったので写真がほとんどないという・・・。

しかし本番はこれから。

僕の目的はトンネル峠ではない。

本来の意味での峠!

こっちだ!!

トンネル横には案内が出ていました。

流石に世界遺産熊野古道しっかりしています。


しかしこれは湯尾峠系の観光地化の流れか。

僕の期待するような景色は見れないかも・・・。

ちなみに砂利の広場のような場所は、やすらぎ苑という大紀町の斎場、つまり火葬場の駐車場です。

こういう立地多いですね。

こっちがある意味本来の入り口。

古道という言葉は似合わない、林道のような感じです。

なんか熊野古道とは書かれていますが、道幅的には林道・・・。

いや感覚的には旧国道っぽい・・・。

この推測はのちに回答を得ることとなります。

荷坂峠、着。

はやっ!

標高241m、いわゆる片峠の部類ですね。

ここから猛烈なくだりが待っていることが予想されます。

おしゃれなオブジェも建ってしっかり、世界遺産の顔をしている荷坂峠。

歴史的には比較的浅いこの峠、規模的にも小さいので立地的に良かったという話ですかね。

峠のベンチもまだまだ年季が足りません。

当然峠の歴史を記す案内板もあります。

この峠、昔から国境の峠だったということがわかります。

北陸の人間からは馴染み薄ですが、紀伊国と伊勢国を隔てていたとのこと。


普段なら気にもしない案内板ですが、この紀伊の国という言葉を聞いて僕は奮い立ちました。

酷道の国(違)紀伊に今僕は再び入ったんだと。

よし!長距離ドライブで抜けかけた気合が戻ってきたぞ!!

周りには茶屋や石仏があったということも記されていました。

確かに気になるところですが、それより気になるものが後ろに・・・

これはよい石垣!!

さすが熊野古道!

言ってることが全然違うけど、やっぱ凄いわぁ・・・。

さてそれでは最後まで進もうか。

しばらく歩いて振り返った時僕は重大な見落としがあることに気が付きました。

これを見落としてたら、泣くに泣けない!

振り返ったのはきっとオブ神様の思し召し!!

白看板!!!

しかも両面揃ってる!!

白看板とは昭和35年以前に採用されていた道路標識のこと。

この年の5月以降に建てられた看板は、皆様ご存知の青地に白のデザインのものです。

いわゆる青看板というやつですね。

道が旧道化しても、看板が置き去りにされかつ新たな看板が設置されないという事態は珍しく、オブローダーとしてはお宝発見なわけです!

知らなかったからなお嬉しい!!

これで旧国道仮説は立証されました。


あとは、トンネルの向こう側へ行くだけだ!

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この道往けば act2

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