湯尾峠

北国街道(ほっこくかいどう)

江戸時代以前の街道で、主に2つの道がそう呼ばれます。

1つは追分(現在の長野県北佐久郡軽井沢町)から直江津(同じく新潟県上越市)に至る道。


そしてもう一つが米原から今庄を経て直江津に至る道。

そしてこの後者こそが今回ご紹介する峠を有する道です。

さてそれではまず地図のご紹介。

この峠は前回紹介した湯尾隧道のほぼ真上に存在するのです。

北陸から橋を目指す場合、今庄宿へ辿りつく前最後の関門となったこの峠の名は・・・、

湯尾峠(ゆのおとうげ)

それではレポスタート!

ここは湯尾隧道湯尾側から西に分岐する細い道を登ってきた先にある湯尾古道入り口です。

舗装路をそのまま進めば湯尾神社に至るので、そこを目印にするとわかりやすいでしょう。

しかし予想以上に道が整備されてるな・・・。

なんかこんな看板までかかってました。

う~ん、ちょっとゲンナリだなぁ。

途中までは車の通行があるようで、綺麗なダブルトラックが残っています。

しかしそれもすぐ消えますが・・・。


進みだすとすぐに「血頭池(ちこべいけ)」なるおどろおどろしい名前の池に差し掛かります。

池の写真はぶれぶれ(この写真よりも)だったので無しで(笑。

なんでも敵将の首を洗ったことからその名がついたんだとか。

現代に生まれてよかった・・・。

なんかずっと思ってたんだけど・・・。

これってよくできた遊歩道だよね??

古道じゃないなこの雰囲気・・・。

気付く人は切り通しや石垣に気づくでしょう。

しかし詳しくない人はたぶん、何が面白いかわからないだろうなぁこの道。

この切り通しとかなかなかの規模だし、悪くないんだけど・・・。

なんかあったんですが、これが何かがわかりません(汗。

というかこれ古道のそこらじゅうにあったんですが、マジで何なんでしょう。

「地下線」だそうです。

電話線とか?

湯尾峠にはかつて湯尾城という城が築かれていました。

その名残が色々残っているんですが、軍馬の水飲み場に現在水はありませんでした。

昔は池でもあったんでしょうか?

それもそうですが、谷積みの石垣に目を惹かれました。

苔むした感じが素敵です。

なんか古道らしくなってきた!

いいぞ!

湯尾隧道でテンション上がり過ぎて、ハイキングコースになり下がった古道になかなかテンションが上がらなかったけど、ここにきていい感じだ!

どんどん行こう!

でもこういうのでじわじわテンション下げさせられる・・・。

一体この道をどうしたいんだ。

ハイキングコースにしたいのか?

古道として残したいのか?

なんか釈然としない道が続きます。

なんかさっきの「地下線」が無造作に捨てられてるんですが・・・

古いものじゃないの??

もしかしたら同じ北国街道の一部である、栃ノ木峠や椿坂峠も国道化されてなければこんな景色だったのかもしれません。

そう思うと・・・、もうちょっと古道として残しておいてほしかったなぁ。

石畳の階段が見えてきて、いよいよ峠だなと思いながらカーブを曲がったその時、それは現れました。

この道最大のハイライト!

すんげえ石垣!

ただこれは道の遺構かと言われれば違う気がします。

これは恐らく湯尾城の跡でしょう。

この法面にこれだけの石垣を組む必要が他にありませんしね。

湯尾峠、着。

標高200m、里山の峠にはありがちな標高です。

峠というより、山城の跡という方がしっくりくる場所でした。

神社や東屋などもあり、なんかよりハイキングコースを意識させられました。

湯尾峠のお地蔵さまも榎坂峠と同じく、まだ冬使用のままでした。

このまま手を合わせます。

ここから下れば今庄宿まで下りられるそうですが、今日はあいにく車を置いてきているので引き返します。

しかしそこで目を引く看板が・・・。


そこにははっきりと「古峠」の文字が書かれていたのですが、夕暮れが迫っていたこともあり急いで撮った写真はぶれぶれで判別不能!

俺のアホ・・・。


これはRevengeせねばなるまい。

僕はハイキングに来たんじゃない!

古道探索に来たんだ!!


Revengeを固く誓って、湯尾峠編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

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