紀伊半島遠征第11弾 引牛越 あの橋の正体編

前回最後のこの写真。

この周辺の峠ではもはや見飽きたといってもいいこの景色。

しかしいざ終わりが近づくと寂しいものがあります。

紀伊山地に酷道マニアたちが集まる理由、ちょっと理解できました。

右側が谷ではなくなってきました。

もちろん滝でもあればまた高度差はできますが、これは標高が下がってきた明確な証です。

ゴールは近い。

その予感は徐々に強くなっていきます。

引牛越

この名は牛廻越と同じく、十津川村と龍神村の間で行われた牛の売買に由来する名前です。


この牛は食用ではなく農耕用。

峠には馬背峠馬坂峠のように馬の名がつくものは多いですが、牛が付くものはそう多くありません。

移動手段ではないというのが大きく、移動に時間のかかる牛を峠越えさせることはそうありません。

そうせざるを得ないほど、この辺りの生活が大変だったということがよくわかります。

文ゾーン

学校が近いってことはわかりますが、もうちょっと書きようがなかったもんか(笑)

スクールゾーンの標識出せばいいだけじゃ・・・。

まぁこれが紀伊山地だといってしまえばそれまでですが・・・。

日本のマチュピチュはここにあったのか。

あそことんでもないぞ!


そういえばヘリでしか行けない村があるって岸部露伴先生が・・・。

あれか!

あれなのか!!

先ほどの集落、名前は殿井(とのい)集落と思われます。

しかしあのインパクトは凄い。

道が地図にも書かれてますが・・・。

気になるけど、ちょっと時間ないなぁ・・・。

あれが文ゾーンの大元。

西川第二小学校(にしかわだいにしょうがっこう)

ここにも子どもはいるんだよなぁ。

大自然満喫。

これはこれでいい環境と言えそうですね。

今日何度、こういう切り通しを越えてきただろう。

これを開削した人の苦労を思うと、感慨深くなります。

昔の人の道に対する思いはきっと、現代人には想像もつかないほどのものだったことでしょう。

それが生死を左右することも大いにあったのですから。

そういえばこの道にはほとんど通常サイズのヘキサポールがありませんでした。

写真のミニヘキサはかなりありましたが。

おにぎりが多かった牛廻越とは、この辺りは対照的と言えますね。

そしてどうして考えてしまう「この道がもし廃道になったら」というシュミレーション。

うん、それこそ全国に名をはせる廃道が出来上がりそうだ。

国道より可能性は高いですからね。

もちろん可能性は限りなく低いですが・・・。

出合橋(であいばし)

このランガー橋が和歌山県から来たものにはゴールを、奈良県から行くものに戦いの始まりを知らせます。

個人的にはやはりあの道との出会いを言い表すようなこの名前。

やはり和歌山側から出合いたいものです。

ここが終点。

写真の隧道は国道425号に属する隧道です。

西川隧道(にしかわずいどう)

ここは国道425号新たなるステージ編の新西川トンネルの旧道にあたる区間ですが、現在でも国道に指定されています。

それもひとえにこの接続の関係があるからでしょう。

あまりにも唐突、しかしそれも県道の接続とみれば普通の出来事。

終幕が劇的なのは廃道探索、険道探索の終幕は静かなものです。


しかし個人的にはトータル2時間強のこの峠探索、当然感慨深い。

もう2度と来ないかもしれない(笑)この場所。

やり残しはしたくありません。


そう、新西川トンネルと言えばアレ。

そうご指摘がありながらもスルーせざるを得なかったあの物件はどうなっているのか!?

今でもあった!!

台風18号にも負けず、ちゃんとそこに残ってました。

しかし・・・、これは一番面白くない結論が出そうだな・・・。


これは工事用仮設橋でした。

写真には写っていませんが、近くでは重機が稼働中でした。

いわゆる浚渫工事ですね。

今回の目的の一つでもあったんだけど・・・。

これはちょっと僕の中では外れだな・・・。

ここから先、この道は国道425号現道と合流し、さらに国道168号と重複していきます。

蘇る戦いの記憶、白谷隧道は今雪の中かな・・・?

紀伊山地を全て探索するにはいったい何年かかるんだろう。

そんなことを考えながら、僕は次の探索へ向かいます。

なんにせよ、長かったこのレポもこれでお仕舞。


以上、紀伊半島遠征第11弾 引牛越編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

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