第2次富山遠征第2弾 馬狩橋
さて、久々にこのパターン。
岐阜県なのに富山遠征のお時間です。
いやね、メインターゲットがどこにあるかって話なんですよ。
それでいうと今回は岐阜遠征でも問題はないんですけどね。
おっと、これ以上喋るとネタバレが過ぎる。
今回は私も崇拝する大御所も取り上げている物件。
正確に言うとその一部ではあるんですが、ここは軽く訪れたら普通に死ぬレベルのネタも紛れているので、おいそれとやるとは言えません。
その中で最もアクセス容易なものをご紹介しましょう。
レポスタート!
いきなり素敵な橋の上。
もちろん今回のターゲットはこの橋ではありません。
これもいい味出してますが、いかんせん若すぎる。
もう少し渋みが欲しいのです。
椿原橋(つばきはらはし)
ここは1級河川庄川(しょうかわ)本流に聳える椿原ダムに最も近い橋です。
しかしダム湖本流を渡る橋ではないのに、ダム名が冠せられるとは少し意外です。
架かっているのは馬狩谷(まがりだに)と呼ばれる谷。
しかしここではもう谷というより、ダム湖の一部と化しています。
下路ランガー橋である椿原橋の奥に見えるのは椿原ダムの管理施設、そしてそのさらに奥に見えるのは同盟の橋となる東海北陸自動車道の椿原橋です。
あちらは上路トラスですね。
なんにせよ、高速道路は空を翔けるに等しい線形を描きます。
そして古い道ほど素直に谷を巻くわけです。
つまり、僕が見るべきは右ではなく左。
最高のロケーション!
これは渡りたい橋だ!
おあつらえ向きの道が伸びていました。
というより、これは先ほどの道の旧道ということでいいでしょう。
地図を見てみるとよりよくわかります。
全体の位置関係がよくわかると思います。
架かっているのは本流ではありませんが、バックウォーターがかなり入り込んでいる支流。
沢登りの人は好きそうな谷に見えますね。
そしてそこにある「内ヶ戸」の文字。
この辺りは古くから「内ヶ戸歩危(うちがとほき)」と呼ばれ、通行者を恐れさせていました。
ここ椿原はまさにその入り口。
門番と呼ぶにはあまりに美しい姿を見せてくれています。
この時点でただものではないシルエットをしています。
大同小異な現代の量産品ではない、一品物の気配。
この時点で胸が高鳴ります。
この橋の形式はなかなかに珍しくなった形式。
カンチレバートラス橋
橋脚の上にある両側の桁が中央の径間の桁を支えている形式をとっています。
ありがたいことに下路式なので、じっくり眺めることが出来そうです。
正面の道は旧道と関係あるのかは不明です。
しかし、僕が行くべきは右。
さぁ見てみよう!
このスチームパンク感・・・。
たまりませんね。
錆びた鉄橋と緑ってなんでこんなに合うんですかね。
カレーと福神漬けくらい合いますよね。
昭和27年竣工
やはりこの橋は椿原ダムとともに生まれたということですね。
というのもダムに沈まない高さに架けられていることからもそう判断できます。
それより過去の橋は湖の下でしょうね。
カンチレバートラス最大の特徴は中央径間を両サイドが支えているということ。
つまり、中央径間の下に橋脚がいらないので、長いスパンが取れるという特徴があります。
こういうダム湖にはうってつけでしょう。
最近は吊橋などの技術向上によって、使われなくなった形式です。
新旧3代並び立つ
しかし唯一、この橋だけは「椿原橋」ではないのです。
地図ではもうネタバレしてますが・・・。
馬狩橋(まがりばし)
谷の名前ですので、こちらでもしっくりきます。
文献によっては馬狩谷橋となっているところもあるみたいですが、同じ橋を指しています。
しかし装飾がいちいちおしゃれです。
昭和生まれでありながら、どことなく大正の空気も感じる。
纏う空気がいいのです。
しかしこれ、反対側道あるのか?
この位置からは確認できません。
根っこが侵食してる。
これを見てエヴァを思い出したのは僕だけでしょうか。
精神に介入してくるタイプの使徒ですよね、これ。
こっちにも道はありました。
やはり、この道は旧道のようですね。
左にも道はあるのですが、これは関係なさそうかな。
富山側と白川郷側で全く印象が変わる馬狩橋。
ちなみに現地には名前を示すものは全くありません。
なので、ネット上で旧椿原橋とされているところもちょこちょこあります。
トラス上に組まれたアーチ構造の部分が、端径間と中央径間の境目だろうと予想できます。
強度的には弱くなりそうですが、70年ここにあり続けているというのはすごいですよね。
当然ですが、歩いても不安は全くありませんでした。
一瞬アンカーを疑い、旧橋は吊橋だったかと色めき立ちましたが、そもそもこんな位置にはないので車止めだったに一票ですかね。
ちなみに旧橋は木橋だったそうです。
もう跡形もないだろうなぁ。
ダム完成とともにできた橋。
つまり、この光景は完成当初から大きく変わっていないのでしょう。
ここをボンネットバスが走る光景。
見てみたいなぁ。
最近、古い橋の撤去が進んでいます。
このブログで取り上げた橋でも、庄堺橋や先述した五月橋が撤去されています。
しかしこういう古いものを愛でる気質というのも日本の侘さびではないでしょうか。
少しでも生きながらえてくれる橋が増えてくれると嬉しいなぁ。
以上、馬狩橋編
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