2019年石川遠征第1弾 菅生橋
遠征が続いてます。
まぁさすがに開設して7年経つと、近場の物件は新規開発しないとなかなか見つからなくなりますよね(笑。
県内物件はまだまだあるので、そちらを中心に攻めたいとは思いますが。
そして今回紹介するのは石川県加賀市。
福井県のお隣です。
ここもかねてから遠征する事の多い自治体です。
そしてここは橋がいいんですよね。
今回もそんな橋のレポです。
いきなり!
溜めも無く全景を見せちゃってます。
しかしこの橋、気になりませんか?
このガーダー、そして特徴的な構造。
僕はあの橋を思い出しました。
そう、三重県津市のあの変態を。
津興橋(岩田川橋梁)
本レポはこちら。
橋の規模的にそこまでではありませんが、平成31年度にこの変態が撤去されることを考えれば貴重かもしれません。
そもそもなぜこの立地でこの形式なのか。
というか本当にこの形式で造られてるのか。
飾りじゃないのか?
この橋は絶対に下から見ないといけない橋だ。
結論は橋の下にある。
何をおいてもまず潜る!
いいところに道が伸びてました。
これで備に橋の下を観察できるってもんです。
しかし一目で見えてるんですけどね。
ひょっこりはんしてます。
確定だな。
中路プレートガーダー橋
鉄道では比較的多く見られる下路、中路のプレートガーダー橋ですが、自動車道では非常にレアです。
単純に道の脇からガーダーが突出しますからね。
通行の邪魔になるのが要因でしょう。
鉄道なら線路の上しか通らないので問題にならないんですが。
まず思うことが一点。
なぜ上路式にしなかったのか。
上路プレートガーダーは多いとは言いませんが、自動車道でも普通に存在するもの。
なぜわざわざという点です。
これに関してはもしかしたら、今いるこの道が関係しているのかもしれません。
ここに道を通すためには桁下を広くとる中路式を採用せざるを得なかったとか・・・。
どうでしょう、この仮説。
・・・そんな重要な道には見えませんが・・・。
しかし道には意外な歴史があったりしますからね。
ここは机上調査を続けるとしましょう。
道の脇には石垣があったりもするので、実はそれなりに古い道という可能性もあります。
まぁ確証はありませんが・・・。
さて、堪能しました。
そろそろ橋上に戻るとしましょう。
津興橋に比べて曲線的なガーダーですね。
無骨な鉄道用より自動車道を意識した造りになっています。
違和感はぬぐえていませんが。
昭和25年12月竣工
昭和25年といえば朝鮮戦争が勃発した年。
いくら終戦したとはいえ、まだまだ物資の少なかったこの時代に良くこんな橋が作れたもんです。
日本の復興は朝鮮戦争の戦争特需の影響も大きかったわけですから、この頃はまだまだ最貧国のひとつだったかもしれません。
反対側へ渡ってきました。
そういえば道の説明皆無でしたね。
ここは列記とした県道です。
石川県道145号串加賀線(くしかがせん)
県道名としてはかなり短い部類ではなかろうか。
読みとしても。
ちなみにこの県道もなかなか複雑な指定をされてる道なので県道レポしても面白いかもという道だったりします。
粟野橋なんかと同じように、この橋もきっと日常に溶け込んでいてこの周辺の人たちからは景色の一部なんでしょうね。
言っておきますけど、変ですからね、これ。
これ一般人はなんとも思わないんだろうなぁ(笑
しかしいいのです。
ごくごく一部の物好きが喜んでくれれば。
そんなニッチな層を狙って、今後も続けていきますよ!
以上、菅生橋編
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