鹿児島遠征第3弾 玉江橋
貯めは無し!
公園内で最も北側にある橋となっています。
しかしこの橋アレですね。
玉江橋(たまえはし)
それがこの橋のお名前。
水が溜まって湿原のようになるからというのが名前の理由のようです。
もともとは甲突川の最も上流に一つ離れて架けられていた橋。
それが今最も下流側にあるというのが不思議な感覚に陥りますね。
こちらも4連アーチ。
狭くても長さはかなりあります。
まぁ人が通ることを考えれば、あの広さで十分すぎますからね。
そしてここも一見普通の川にも見えますが、人口の水路上に移設されています。
しかしこちらは古来からある方法によって隔てられた人工水路ですが。
埋立地と旧来の地に挟まれた水路。
それがこの立地です。
そういう立地は当然こうなるんですよ。
靴を泥で汚すのは嫌だなぁ。
帰り新幹線だしなぁ。
靴ないしなぁ。
そんなときはこちら!
恐らく下に下りるための通路の手すりのようなものなんでしょうが、ちょうど上手いこと渡れます。
リアル平均台ですね。
まぁそれほど長いものではないのであまり奥まではいけませんが・・・。
無いよりはマシです。
有意義に使わせていただきましょう。
これだけ見ると廃橋みたいですね。
あまりこのアングルで見ることも無いのでレアともいえます。
要石が目の前です。
甲突川五石橋の特徴とも言える巨大な水切工。
もちろんここでも健在です。
この立地では水が淀みまくっているので、あまり意味はありませんが・・・。
かつては大活躍していたことでしょう。
やっぱこれ、橋台ごと移設したんでしょうね。
元々ここにあったかのようにしっくりきてますが。
橋台のほうの迫受石もなかなかいい感じ・・・・。
さて、そろそろ橋の上に戻るとしましょうか。
お邪魔したね、磯カニさん。
さて、渡るとしましょう。
ここは前二橋とちがって、斜めの石材ではなく、敷き詰められている感じですね。
これはこれでいい。
いいわぁ、この無骨な欄干。
この綺麗な直線じゃない感じが良いのです。
さすが江戸時代の架橋です。
ちなみにこんな素敵な状況ですが、被災前はこの橋、県道橋だったという衝撃の事実があります。
なかなかの衝撃ですよ、これ。
この狭さ、この長さ、しかも江戸時代架橋の橋が、平成の世の現役県道の橋だったんですから。
どんなけ丈夫なんだって話でもありますが。
死んだ川みたいになってますが、恐らくここは海なんでしょう。
つまりここは干潟ということになります。
前回お話した、石橋じゃない2橋のもう一つがアレ。
下路アーチですね。
まぁもっと攻めて欲しかったですが、良しとしましょう。
立地が大変よろしいので。
振り返ればこんな感じです。
結構印象が変わりますね。
そしてここにも他の2橋にはない特徴がありました。
親柱が仕事してる!!
橋自体が名乗りを上げているのはこの玉江橋のみでしたね。
作った人が違うのか、石工が違うのか理由はわかりませんが、玉江橋には他2橋にはない特徴が多く見られました。
ちょっと気になるところでしたが、調べる時間も無く机上調査続行ということで・・・。
今は埋立地と元埋立地を渡す橋となっている玉江橋。
玉のような江に架かる橋という名前にとっては皮肉な状況となってはいますが、今もその姿は健在です。
そして先程の橋を渡って戻るとしましょう。
やはり石橋はサイドビュー。
これを最後に見ていかねば。
うむ、良い
現代的な景色の中に佇む石橋。
これはこれで良いものです。
以上、玉江橋編
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