北陸本線の石造構造物 前編
JR北陸本線
言うまでも無く北陸の大動脈。
滋賀県米原市から石川県金沢市までを結んでいます。
1889年から東海道線の支線として開業しましたが、その後1899年に敦賀港が国際港として繁栄し、日本海側では最も早い段階で鉄道が敷設されました。
ちなみに敦賀より北への延伸は1893年に開始されています。
要するにそれだけ歴史があるのですよ。
ということはあるはずです。
色々と!
レポスタート!
さて、やはりスタートはここでしょう。
北陸隧道(ほくりくずいどう)
いわゆる北陸トンネルです。
総延長13870m、1962年竣工から1972年まで日本最長の鉄道トンネルでした。
ちなみに狭軌の陸上トンネルに限れば、現在でも日本最長です。
そしてなぜここまで一般人が入れるかというと、この慰霊碑があるおかげです。
北陸トンネル火災事故
1972年11月6日、北陸トンネル内で電気系統を原因とする(諸説あり)火災が発生、死者30名負傷者714名を出す大惨事となりました。
その慰霊碑が北陸トンネル敦賀側坑口横に設置されています。
これからの探索はここからがスタート、手を合わせて先へ向かいます。
隣の木ノ芽川を挟んだ反対側に広い空き地が見えます。
あの辺りが深山信号場の跡地になるあたりと思われます。
その痕跡はほとんど残っていませんが・・・。
ここから敦賀市街地に入っていきます。
そしてそこにある。
この探索を早めにやらないといけないと判断した理由。
北陸新幹線
こいつが北陸本線の古い構造物を根こそぎ回収させてしまうんじゃないかという懸念があったのです。
それは時代の流れとして仕方ないとして、記録には残してやりたい!
現敦賀駅を通過します。
この辺りにもなんか色々ありそうなんだけどなぁ。
今は工事関係者が多くてあまりうろうろ出来ないんだよなぁ。
木ノ芽側を渡る地点の橋を撮りに来ましたが、至って普通のコンクリート橋でした。
あまり面白みは無いな。
しかしここにはお地蔵様がいらっしゃいました。
この立地のお地蔵様というのははじめて見ましたね。
どういう意図があるんだろう・・・。
気になります。
そして再び東へ進みます。
すると出てくるのがこの跨道橋。
一見、ただのコンクリ製に見えるのが曲者です。
寄ってみてもこの時点では違和感はありません。
そして意識してなければ通り過ぎても気付かないかもしれません。
元石造橋梁!
在りし日の姿が見たかった・・・。
毛一本の隙間もない緻密な石積み。
見事の一言です。
だからこそ今も生き残っているのでしょう。
もともと2本の石造りの橋脚だったものをコンクリートのボックスカルバートで繋いで一つの暗渠にしたような形式です。
確かに強度的にもこっちの方が増すのでしょう。
その点は否定できません。
そしてこちらが反対側。
ここ、ちょっと雨降ると直ぐ水没するんですよね。
今年も台風で一台沈んだらしいですし・・・。
そしてこの橋梁の名前が判明!
深川橋梁(ふかがわきょうりょう)
何度もここ通ってるけど正式名称初めて知ったよ!
名前を知っているのと知らないのとでは、橋への愛着が変わりますよね。
まぁそれは名前を知ったからだけではないんですが・・・。
こうしてみると、継ぎ接ぎの中にも、どこか美しさを感じます。
不思議なもんですね。
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