粟野水力発電所遺構群 残るものと消え去るもの編
現役時代は決して人が入れなかったであろう空間。
その中へ身を滑り込ませます。
理由?気になるから以上の理由、要りますか??
思ったより狭かった!!
コンクリートで仕切られたその空間は、予想よりはるかに狭く、あたりを一瞥しただけでその全貌がつかめるほどでした。
しかし何でこの写真ぶれてんの?
フラッシュ焚くとこんな感じになって余計見難い・・・。
もうちょっといいカメラ買い時かな・・・。
下から見上げた水門
ここにゲートが下ろされたときの絶望感たら堪らないでしょうね。
もしそこに生ある者がいれば、確実に濁流の底に沈むのです。
通常の道の探索とは違う想像が膨らみ、少々背筋が寒くなりました。
その下はこんな感じ。
中空に放り出された水は滝となって流れ落ちていたのでしょう。
それは今も起こりうるはず。
見てみたいな・・・。
地上に復帰するとそこには手すりがありました。
地下空間は狭いですが、地上部にはそれなりの広さがあります。
うん、かなりの高度差。
この差が水力発電には重要なわけです。
一番奥には一際大きな石造りの函がありました。
水は最終的にこの箱の中に収斂する形になります。
となるとこの先は一つ。
ここがどん詰まり。
さぁ下を見下ろしましょう。
そこに答えがあるはずです。
やっぱりこいつか!!
管を流れる水の勢いで発電する水力発電。
それがこの一連の施設の正体です。
現在では一般的にダムで行う水力発電ですが、その原始的な方法といえるでしょう。
元は水路式だったと考える理由が石積みで隔てられた溝。
ここに集めた水を流していたのではないかと考えられるのです。
しかしこのあたり、比較的勾配は穏やかです。
これで本当に発電できるほどの激流が生み出せるのか少々疑問。
なんせ現役施設である疋田水力発電所を見てみると・・・、
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