旧北陸本線隧道群 訂正&考察編
前回2回に分けて公開した「旧北陸本線隧道群」ですが、
公開後、情報があったり、自分なりに考察したことがあったので、
急遽、「訂正&考察編」を公開しようと思います。
文字の多い記事になると思われますが、
お付き合いいただけると嬉しいです。
1)杉津駅(すいづえき)の位置
前回、後半のレポで杉津駅跡の疑定地としたのが下の写真です。
ここは葉原信号場を少し走った地点。
ここにはレポでは公開しませんでしたが、疑わしい平場があったのでここを疑定地としたのです。
しかしレポ公開後、またもやT氏から情報がありました。
「杉津駅跡は現在の杉津PAだよ」
お恥ずかしい話、実際探索した際、僕はこの話を知っていました。
にもかかわらず、曽路地谷隧道でのビビりと葉原隧道の待ち時間の間に、
完全に失念しておりました。
ああああああ、恥ずかしい。
レポはやっぱ夜中に書くものではないな。
よかったよ、断定しなくて。
「この平場が杉津駅跡です!」
とかでかいフォント使って断言してたら、恥の上塗りじゃないか。
恐らくあの平場は葉原信号場の退避線かと今では考えています。
断定はしませんが(笑。
つまり本来の杉津駅の位置は・・・
この辺り(正確にはもうちょっと奥ですが)が杉津駅跡ということになります。
位置的には第一観音寺隧道と福井県道207号が分かれる交差点の間あたりです。
高速道路の並み木の裏にある北陸自動車道上り線杉津PA。
あれがかつて「北陸屈指の車窓風景」と呼ばれた杉津駅の跡地だと知っている人はどれくらいいるのだろう。
現在でも夕陽のアトリエという「恋人の聖地」として、その絶景を見せてくれます。
2)駅、信号場の位置関係
僕の見ていた資料では(前編公開後に図書館でコピー)、
今庄-大桐-山中信号場-葉原信号場-杉津-新保-深山信号場-敦賀
このように記されておりました。
しかし・・・
杉津駅跡と確定したここは
山中信号場と葉原信号場の間
・・・おかしくね?
どう考えても答えは出ないし、
ネット上での情報もこれが正解。
北陸本線に異常に詳しいT氏からもこの指摘はありました。
ソースはありませんが(おい!)、当ブログでは勝手に決めさせていただこうと思います。
旧北陸本線の北陸トンネルに蹴落とされた区間は
今庄-大桐-山中信号場-杉津-葉原信号場-新保-深山信号場-敦賀
である!
ということでした。
申し訳ありません。
3)謎の12本目の隧道について
さて前回最後に触れた、幻の12本目の隧道。
これについていろいろと調べてみたんですが、
やはり資料的にはここに隧道があったことを示すものはありませんでした。
地形図を見ても木ノ芽川に沿って普通に線路を通せますし、
隧道を掘る理由が見当たらないのです。
そこで僕は一つの仮説をたてました。
隧道があったのは敦賀-今庄間の廃線区間ではなく、
敦賀-木之本間の廃線区間だったのではないか?
調べてみたらすぐに、恐らくこれという隧道が見つかりました。
それは・・・
曽々木隧道
明治12年生まれの隧道です。
刀根隧道、小刀根隧道と同時期に貫通した現存すれば日本最古級の隧道でした。
しかし柳ヶ瀬線が廃止されて間もなく、
現在の国道8号が拡幅されることとなり、
これに伴い開削されてしまったのです。
現在では余りに現状が変わりすぎているのではっきりとはわかりませんが、
恐らくこの辺り。
福井県道140号敦賀柳ヶ瀬線が国道8号と分岐する手前の掘割。
ここが開削された曽々木隧道跡地の可能性が高いと思われます。
※後日、ここにあったことを証明しました!
この道の先には福井、滋賀県境の国道峠「新道野越」がありますので、
そのレポの時にまたじっくり調べます!
ひとまずこのレポでは幻の12本目の隧道の正体は、
同じ敦賀市内の木之本側にあった隧道と結論付けたいと思います。
なんか釈然としない気もしますが、
情報等ありましたら、ぜひ教えてください。
あくまでこれは僕の仮説。
もしかしたら樫曲の山中にはまだ見ぬ廃隧道が眠っているのかも・・・。
可能性は0ではない。
情報お待ちしてます!
※のちにmicaviecleさんからの情報で、12本目の隧道の真の正体が明らかになりました!
杉津駅と曽路地谷隧道の間にあった、「河野谷隧道」という隧道です。
北陸本線建設にあたって開削されてしまったとのことでした。
よって考察3は完全に無意味なものとなってしまいましたが、間違いも一興ということでこのままにしておきます。
もちろん曽々木隧道は間違いなくそこにあったものなので、ご安心を。
micaviecleさん、ありがとうございました!
以上、旧北陸本線隧道群 訂正&考察編
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