三重遠征第3弾 初代長野隧道 前編

ご覧のとおり、完全封鎖で取り付く島も無い長野隧道

いつもならここでレポ終了となるところですが、今日はむしろここからが本番!

さてワープによって舞台を再び津市側に戻します。

妙に観光地化されていたこともあり、こんな看板が設置されています。

そう、ここには旧旧隧道が残されているのです!

案内板や(いかにも滑りやすそうな)懸け橋など、観光地化に余念がない旧旧隧道。

しかも先客がいらっしゃるようで足跡がくっきり残っていました。

・・・屍公開再びか・・・。

ただこの階段は観光地と呼ぶにはいささか急すぎる気がします。

木ノ芽峠以上だな・・・。

一般的には知られてない塩坂越の旧道だってもうちょいマシだったぞ・・・。


ちなみに2回ほど雪で足を滑らせ転倒しかけました。

雪の日に木の階段はマジでヤバい。

登りきった先は明治の道。

この規格だと荷車道かと思いますが、このような木橋もあってなかなか雰囲気満点でした。

まぁ言うまでも無く、超怖かったですが。

道筋はしっかりしています。

倒木が切られていたり、枝が剪定されたりしているので、かなり管理された道だということがわかります。

明治道はそれほど長くは無く、5分ほどでこの田舎のゲートボール場のような広場につきます。

そして道は山肌であるはずの左側に吸い込まれていきます。


しかし折角の明治道。

木橋まで復元(?)してまで雰囲気を作ってるのに、ここにきての蛍光緑のフェンスに正直萎えました。

どうせなら木の柵とか、もうちょっとやりようあるでしょうよ。

文句タラタラ言ってますが、

これは大好物!!

構図でわかるとは思いますが、ここはまさに旧長野隧道直上。

てぃーだくんが止まっている辺りが明治道へのアクセスとなっていたポイントです。


水坂峠賤ヶ嶽隧道でも公開したこの構図の写真ですが、この写真ではただ一つ違うことがあります。

それは・・・、写真に写っている道で現役の道は存在しないということ。


これは旧道と旧旧道の立体交差。

緩やかな死を待つ退役道たちなのです。

・・・そう考えるといつもはテンション上がるこの光景も、さみしく見えてくるものですね。

振り返ればそこには・・・、

初代長野隧道、出現!

明治18年竣工。

明治18年と言えば、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した年です。

そんな時代からここに立ち続ける坑門。

じっくり拝んでやらねば・・・。

まずはポータル。

総石造りで迫り石にも装飾が施されており、重厚感が漂う。

ピラスターも上に向かって細くなる基本に忠実な作りが好印象。

上部の欠損もそんな威圧感ともいえる重厚感の演出に一役かっている。


そして県の職員さんでしょうか。

立ち入り禁止のフェンスを隧道内に立てるというのは泣かせる努力じゃないか。

明治の近代土木遺産を少しでも当時のまま見てもらいたい。

そんな気概が伝わってくる。


そうだ。

たぶん僕は観光地化が嫌いなんじゃない。

観光地化されることで、当時の雰囲気を著しく破壊されるから嫌いなんだ。

観光地化はされているが僕はここは嫌いじゃない。

ただ惜しむらくは蛍光色の緑の柵!

お前は大嫌いだ!!

続いて洞内。

この時期の隧道は大概湿っているんですが、ここは意外なほど乾いていました。

壁も床も、多少ぬかるんでいる程度のものです。

最後は周囲。

控えめな案内板が設置されていました。


216米 明治18年完成

米というのはメートルという意味。

216mの隧道だということが分かったわけなんですが・・・。

216mの割には暗すぎないですか??

洞内がカーブしてるのか。

はたまた・・・。

これは伊勢市側を目指した方がよさそうだな・・・。

旧道に戻ってきてから頑張ってみました。

旧隧道と旧旧隧道を同じフレームに収める!

旧旧隧道が旧道の直上にあるからこそできる荒技ですね。

さて津市側の探索を終えたわけですが、レポに思いのほか熱が入ってしまって前回あんなけ煽った雪中探索まで行けませんでした!ごめんなさい!!

ああ!石投げないで!!後編では必ず!!


というわけで・・・

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