第3次京都遠征第3弾 北吸隧道

隧道関係で舞鶴を旅する時に、決して避けて通れない隧道があります。

・・・まぁ今の今まで避けて通ってたんですが・・・。

しかし当ブログのコンセプト、広くも深くも全部やる!という意味では、観光物件だろうが超メジャー物件だろうがやってやらねばなりません。


そう、今回紹介するのは港町舞鶴が誇る有名物件。

舞鶴のシンボルである赤レンガにも関係する隧道です。

まずは見てくれ!

レポスタート!

めっちゃ歩道広い

お世辞にも都会とは言えない町並みで、この広い歩道は違和感バリバリです。

しかし理由を知ればそれも納得。

実はこの歩道、廃線利用なのです。

日本国有鉄道中舞鶴線(なかまいづるせん)

昭和47年まで兵員輸送や特殊貨物輸送で活躍した路線。

国道27号の整備に伴って廃止されたそうです。

その跡地はこのように歩道として利用されています。

中舞鶴線というのはあくまで通称で、本名は舞鶴線支線と言いました。

東舞鶴駅と中舞鶴駅を繋ぐ路線で、ほぼ現在の国道27号と並行していたようです。

今回の区間は東舞鶴駅から軍港までの僅かな引き込み線区間。

そこにこの支線唯一の隧道があったのです。

観光地化の帰来があるので、こんな看板が随所に立っています。

そしてこの看板の位置から上の尾根の方を見ると、それはもう見えています。

さすがの大物感!!

観光物件でもいいものはいい。

樫曲隧道小刀根隧道もそうでした。

そのなかでもここは有数にいい残り方をしています。

北吸隧道(きたすいずいどう)

鉄道由来の歴史を持つ、レンガ造りの明治隧道です。

明治37年竣工は伊達じゃありません。

ピラスター、笠石を備えた基本に忠実なレンガポータル。

石材を交えているのがおしゃれです。

レンガ隧道は世界的には多いんでしょうが、その背景が竹ってのは日本ならではじゃないですかね。

中国とか韓国ってあんまりレンガのイメージないんだけどどうなんだろ?

当然、登録有形文化財に指定されています。

軍港都市舞鶴を支えた隧道ですからね。

歴史的価値も十分です。

折角の作品が見えない!!

舞鶴市さん、折角なのでそろそろ交換をお願いします・・・。

明治生まれらしい傷みはあれど、まだまだ堅牢な印象なレンガ積み。

このコントラストがレンガの味ですよね。

医師の堅牢さとはまた違う、オシャレさがあります。

そして電灯までオシャレ。

こういうとこよな、大事なとこは。

雰囲気づくりって大事だよ。

せっかくならこういうとこも徹底してほしかったけどな!

明治生まれなんだからガタがくるのは仕方ないとしてさ。

足元はアスファルトではなくレンガブロックで歩きやすく整備されています。

王子にはここにバラストが敷かれSLが走っていたわけです。

想像すると胸が熱くなりますね。

鉄道由来の隧道といえばこれ。

退避抗です。

必要なくなった現在は埋められてますね。

アーチがしっかり残されているのは好感が持てます。

なんか安っぽいけど・・・。

まぁこれくらいは目をつぶってやろう・・・。

延長110mの北吸隧道は若干の名残惜しさを残して終わりを迎えます。

ちなみに由来を別にする煉瓦隧道が舞鶴市にはあと3つあったんですが、2つは開削新トンネル、あと1つは所在不明となっています。

いつか見つけてみたいなぁ。

さすがに現存はしてないだろうけどなぁ。

こちらは東舞鶴駅方面。

舞鶴市の人口は敦賀市より多いですが、面積が広いですからね。

なかなか長閑です。

まぁ京都市だって、北の端の方とか行けば超山奥ですからね。

こっちの方が鬱蒼としてますね。

手前の笹薮がそう見せるのでしょうか。

冬場はまた印象が変わりそうです。

「鎮守府」の一つ「舞鶴鎮守府」の一部として日本遺産にも登録されているこの隧道。

敦賀市も「北前船の寄港地」ということで一応含まれてるんですけどね。

あんまり浸透してないな・・・。

この隧道の雰囲気、やっぱいいわぁ。

こういう観光地化なら大歓迎なんですけどね。

余計なものを増やされたり、封鎖されたりってのがいただけないわけで。

ハートとか・・・

最後にこの隧道の雰囲気を最も的確に映した1枚を。

ただただ美しい。

絵画のような光景。

やはり舞鶴は絵になる街です。


以上、北吸隧道編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

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