第3次三重遠征第3弾 伊賀越 中編
伊賀市側はこのような状態です。
こちらから見た方が美しさが際立つ峠ですね。
しかし狭い。
峠付近で離合するのは完全に不可能な状態です。
しかし離合個所も少ないこの道では、はち合わせたら鬼バックが強いられること請け合いです。
振り返り見た峠。
ここがかつての裏街道だったことがよくわかる、自然の地形に沿った線形です。
それでも伊賀市側よりは確実に山奥まで集落が伸びている印象のある津側。
畑などに来る人の為に、伊賀側よりは人の手が入っている印象です。
この道、実は歴史上非常に有名な事件の舞台となったことがあります。
歴史好きなら誰もが知る有名な出来事。
その元となった事件は日本人なら誰もが知る謀反劇です。
本能寺の変
明智光秀が織田信長に反旗を翻し、謀殺した日本史上最も有名な謀反です。
この時、織田信長と同盟関係にあった徳川家康は堺(現大阪府堺市)にいました。
事件が起きた本能寺は京都市、家康の居城であった岡崎(現愛知県岡崎市)の間に位置し、討伐される公算が非常に大きかったと言われています。
しかし家康配下には服部半蔵がいました。
服部半蔵は伊賀出身の武士(忍者じゃないよ!)であり、このルートによる逃走を提案します。
これが世に言う「神君伊賀越え(しんくんいがごえ)」です。
この時の最後の峠がこの「伊賀越」だったという説があるのです。
これには諸説あり、実際はこの伊賀越をルートとする人はマイノリティです。
甲賀から下ってきた場合、わざわざ南に位置するこの峠を使うのは不自然ですから。
現在、最も有力なのは加太峠であることをお伝えしておきます。
閑話休題。
現代の話に戻しましょう。
この三重県道42号は峠付近を除き、常に川沿いを走る峠です。
前編では服部川でしたが、峠を越えれば安濃川の源流である河内川にぶつかります。
これはここが分水嶺であるわかりやすい例です。
服部川は木津川に合流し大阪湾へ、安濃川は伊勢湾に流入します。
大なり小なり半島には分水嶺が存在するということですね。
日本最大の半島である紀伊半島では、かなり大きな変化です。
しかし景色の変化は非常に美しい。
高原のような景色から杉の植林地、峠付近では原生林が味わえます。
道さえ広ければドライブに最適なんだけどなぁ。
あ、あと廃道になったら面白そう(ぇ。
基本的に勾配は穏やかなのがこの峠の特徴。
標高は507mとそこそこ高いですが、距離をかけて下るので時間はかかりますが、急勾配個所はほとんどありません。
こちらはヘアピンではありませんが、最も勾配のきつい区間です。
ちなみに前半で加筆した台風18号による事故はこの辺りとのことです。
道がぐしゃぐしゃだったもんなぁ。
お気の毒に・・・。
皆さんも災害時は通る道の事前情報はしっかり入れておきましょう!
美味いことカモフラージュされてますが、綺麗な谷積みの石垣が隠れてました。
やはり古い道なのは確かなようです。
苔むし感が良いですね。
しかし・・・、ここから唐突に道が牙をむき始めます。
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