岐阜遠征第4弾 関ケ原の謎の穴 前編
今回の舞台は古来から交通の要衝として知られる街。
そして日本で最も有名な合戦が行われた街。
岐阜県不破郡関ケ原町(ふわぐんせきがはらちょう)
第3回の島津義弘はこの地で敗れ、南に敗走したのです。
現在でも交通の要衝として知られ、人口8000人弱、面積50km2弱という小さな町としては異常なほどの交通密集度を誇ります。
鉄道
東海道本線(関ケ原駅)
東海道新幹線(停車駅無し)
高速道路
名神高速道路(関ケ原インターチェンジ)
国道
国道21号(中山道)
国道365号(伊勢街道)
有料道路
伊吹山ドライブウェイ
僕の地元、敦賀と同じく古代三関の一つである不破の関(ふわのせき)が置かれた場所としても共通点がありますね。
ちなみに関ケ原町の「ケ」は大文字表記が正しいです。
間違えると矢が飛んでくるとか来ないとか・・・。
ちなみに本題の穴があるのはこの辺り・・・。
県道沿いの山側に位置しています。
折角なので、この県道も全線通ってみることにしました。
この街の辺縁をなぞる様なルーティングも気になりましたし(笑)。
岐阜県道229号牧田関ケ原線
(まきたせきがはらせん)
北進する起点からのレポです!
行ってみよう!!
ここが国道365号と県道228号の起点、「牧田一色交差点」です。
この辺り(滋賀県米原市付近も含めて)ではよく、「○○一色」という地名を見かけます。
これは東海の有力大名だった「一色氏」と関係があるのかな?
あくまで僕の予想ですので外れてても苦情は受け付けません(笑)
起点付近は新たに作りなおされた県道229号。
山に向かってる割りには片側1車線と豪華です。
ちなみにここはまだ関ケ原ではなく、大垣市だったりします。
飛び地の方ですが。
ややこしいな・・・。
向こうに見えるガードレールが旧道です。
意外としっかりしてるのかな?
以前来た時は完全に山に呑まれてたんだけど・・・。
大逆転の需要でもあったのかな??
まぁこうなりますよね。
この辺りでは今須川(いますがわ)沿いの渓谷と言って差し支えないようなところを通るので、当然道は狭くなります。
岐阜では最も西寄りで、日本アルプスから離れた地域に位置するこの辺りですが、今度は伊吹山地に潜りん込んでるので結局山深い。
主峰である伊吹山(いぶきやま・1377m)はもうすぐそこにあります。
同山は滋賀県最高峰です。
とはいえ、道幅自体は2車線幅あり、それほど窮屈には感じません。
険道と呼ぶには少々力不足ですね。
退避所もしっかりありますし。
境にはお地蔵様がありました。
これも古い村の形態そのままです。
このお地蔵さまは村の、旅人の、帰村する人の為に今なお祈り続けています。
手を合わせて先へ進みましょう。
この道はどうやら新道を建設中らしく、ここから急に道の規格がよくなりました。
確かに国道21号米原方面から員弁方面を目指す場合、この県道は関ケ原中心部を通らずに国道365号に出られるショートカットとして機能していることがわかります。
関ケ原町内は意外と混むので、理解できる改良工事ですね。
改良区間はこんな感じです。
しかしこの周辺はどの方角向いて写真撮っても必ず山が写り込むな・・・。
盆地だということを改めて認識します。
道はギリギリまで高規格を維持したまま、国道21号にぶつかります。
直前で集落を通るので若干狭くなっちゃいますが。
あ、ちょっと訂正。
正確には国道21号にはぶつかりません。
これ案内何もないですけど、
左に折れる道が正解。
全区間通して第2位のミスルートポイントです。
終点から起点に向かえば分かりやすいんですけどね。
僕ここでかなり迷いましたから。
ちなみにこの探索時にもカーナビ付いていません(汗。
こういう探索の時は心強いんだよなぁ・・・。
これが国道21号にフェイントをかけた先。
あれも一応接続という形にはなるのかな?
連絡路経由ではありますが。
そしてここが先ほどのミスルートポイントをしのぐ、最大のトラップ。
これ右が正解なんだけど・・・。
どう見てもお寺の参道じゃない??
そして右には当然・・・、
国道21号!
その奥には東海道本線!!
その奥にお寺!!!
なんというカオス!!
そして東海道本線が県道を跨ぐアーチやばい!!
そんじょそこらの隧道なんて屁でもないくらいの重厚な雰囲気ですよ!!
だってだよ!!
総煉瓦作りだよ!!!
しかも石で意匠まで施されてる!!
妙応寺架道橋(みょうおうじかどうきょう)
1度目は夜中だったから、古そうだなくらいにしか思わなかったけど・・・。
これ知ってれば、これだけの為に探索するレベルだぞ・・・。
(後日これだけレポを行いました!)
原側はRCで引き延ばされてました。
残念・・・、上石津側が健在なだけでも良しとするか・・・。
そしてこちらには昭和29年竣工とのプレートがありましたが、これはこの延伸部分のことでしょう。
資料によれば本橋の竣工は大正10年8月だそうです。
大正物件か・・・。
明治じゃないのは惜しいですが、それでも大物なのは間違いないですね・・・。
架道橋を過ぎれば再び道はカクカクし始めます。
まぁここはそんな分かりにくくはありません。
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