旧北陸本線 疋田駅周辺 前編
このブログには基本的に道のレポ以外は載せないというポリシーがあるんですが、今回はちょっと近況報告をさせていただきます。
実は11月29日(金)、大阪で「道カフェ 道ちゃん大集合!」という土木学会主催のイベントにパネリストとして参加してきました。
本職の方でパネラーをしたことはありましたが、この「道漁り」趣味でお話しさせていただくのはもちろん初めて。
というよりもこのような道関係のイベントに参加すること自体が初体験。
いやぁ緊張した。
たぶん今年一番緊張した。
だっておそらく僕よりもはるかに道に明るい方ばかりの中、お話しさせていただくわけですから。
皆さん温かい目で僕の拙い話を聞いてきただき、「道好きに悪い人はいない!」という持論を深めることができました!
皆様ありがとうございました!
そしてこのような機会をいただいたのはFACEBOOKの「道カードを作ろう」というページへの投稿が直接のきっかけでしたが、数ある投稿者の中から僕を選出していただけたのはひとえに僕の道趣味の集大成ともいえるこの「この道行けば」をご覧いただいている皆様のおかげかと思います。
この機会にお礼を言わせていただきたい。
いつも本当にありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いします!
駄文が長くなりました。
それでは本編スタート!
さて今回ご紹介するのはだいぶ久しぶりとなる廃線ネタです。
そしてここは過去に取り上げたことのある地域。
敦賀市で廃線ネタといえば、常にこの路線が絡みます。
旧北陸本線
そしてその中でも今回は隧道ではなく、駅部に注目してご紹介します!
この部分!
疋田集落の中心を横切る廃線跡、その姿をご覧にいれましょう。
それでは、レポスタート!
さてだいぶすっ飛ばしましたが、ここは一番上の地図で旧国道8号と旧北陸本線が分かれる部分。
手前の区間につきましては旧国道8号小河曽々木編をご覧ください。
ちなみに右が旧国道8号、左が旧北陸本線です。
ここにはこの区間トップ2の重要な遺構が眠っています。
現在地は分岐を少し旧国道8号側に入った地点。
この遺構は廃線上からは見えないのです。
この見事な石垣の築堤を応用に左に目をやると・・・・、
見えねえ!!
わかるでしょうか?
煉瓦製のアーチが見えるでしょうか??
分かると言ってくれえええ!!
はぁはぁはぁ・・・。
・・・真冬にまた来ます・・・。
疋田暗渠(ひきたあんきょ)
現在も市道となった廃線を支える健気な子です。
しかし蔦の生命力をなめてたぜ・・・。
真新しいガードレールの下に暗渠があります。
真冬ならきれいに見えるはず、Revenge編は確実だな・・・。
(後編公開時に撮りに行きました!)
とりあえず先を急ぎます。
振り返って撮影したこの写真。
このストレートが廃線の名残を伝えます。
そしてこここそが今回のレポの中心となる場所。
疋田駅(ひきたえき)跡
この石組みがホームの名残です。
今はかつての姿をしのぶにはあまりに変わってしまっています。
しかしここがかつて大陸と繋がる欧亜国際連絡列車の寄港駅だった敦賀駅(敦賀港駅)の次の駅だったのです。
明治時代、この区間は日本海側では最も早く鉄道が開通した区間でした。
今では敦賀市民ですら知らない人も多いでしょう。
現在は人が立つことも厳しいホーム。
フェンスに腕をからませれば何とか・・・。
それもおかしな話ですが。
現在は会館のグラウンドの一部となっているホーム。
彼は今何を思うのでしょうか?
子どもの笑い声と共に過ごす幸せな余生かも・・・。
ここで緊急事態発生。
廃線跡に建物が建っとる
まぁそんなこともあるよね。
1963年廃止の廃線跡なんだから。
半世紀の月日はそりゃ重いさ。
反対側はこんな感じ。
う~ん、路地にしか見えない・・・。
これはいいフェイントだわ。
振り返って撮影。
そして敦賀市民には有名な「疋田の〇ーソン」(2022年現存せず)の裏を抜けていく廃線跡。
この飛び出し坊やはおそらく、この廃線跡にというより駐車場にという意味合いが強そう。
確かに危なそうです。
0コメント