西野水道 前編
実は2023年度中の探索は前回で最後でして、半年ほど時は飛び、2024年の1月の探索に移ります。
コロナ期間中およびその後のレポは引っ越し作業が終わり次第まとめようと思っていますので、ご了承を。
さて、そんな年始の雑踏も過ぎ落ち着いてきたころ、驚きの情報を得ることになりました。
琵琶湖の北部に僕の知らない隧道があると。
そんなの許せるわけないじゃないですか!
レポスタート!
でっか!!
なんじゃこりゃ。
こいつが廃隧道なのか。
現地で見たこの隧道のでかさに度肝を抜かされました。
これを知らなかったとはお恥ずかしい。
しかし、僕らの趣味の範疇とは微妙にずれるんですよね、この物件。
こちらが隧道の先。
向きとしては北を向いています。
余呉川の水を琵琶湖に放す
それがこの隧道の目的なのです。
西野水道(にしのすいどう)
歌までありやがる。
それだけ重要な隧道だったということでしょう。
この辺りは余呉川の氾濫の被害を多く受け、琵琶湖へ水を逃がしたかったのですが、この西山という山が邪魔をしていました。
そこを掘りぬいて水を通した。
水路隧道というジャンルは、村の命を守るためのもの。
気合が違います。
このエリアにはいろんな看板やモニュメントが建っていました。
ぶっちゃけ、どれがどれに関係しているのかわからないレベルで笑。
ただこの年表を見ると面白いことがわかります。
1845年 水道貫通する
1950年 西野放水路完成
1980年 大放水路完成
つまりここには3世代の水路隧道があるはずなのです。
それも初代は180年前の水路隧道。
それはやばい。
確実に当ブログが扱った隧道の中でも最古の隧道ということになります。
完璧に江戸時代ですからね。
この辺りには古墳もあるらしく、古墳関連の案内やオブジェも多数あります。
一つ一つ見て行かなければ見落としそうだな。
これは・・・、おそらく古墳関連だと思われます。
江戸時代にこの服装はないよね。
背景知らないと謎のオブジェです。
古保利古墳群(こぼりこふんぐん)
国指定の史跡です。
西野水道とセットで紹介されてることが多いですね。
まぁこの近さですから。
こちらも古墳関連と思われます。
古墳関連は結構ギュッと一か所に固められてますね。
そこ以外にあるのは隧道関連と思ってよさそうです。
出た、読めないタイプ・・・。
こちらは同じ山裾ですが、少し位置が離れています。
こういうのは道関連に多いタイプなんですが、利水にも使われるんですね。
まぁ土木という大きなくくりでは同じか。
手前には西野水道の案内板もありますしね。
それでは見ていただきましょう。
江戸時代に完成した水路隧道。
その現在の姿がこちら!
いかつい!!
初代西野水道
これだけ見るとどこにでもある用水路と見紛うレベルですが、これは江戸時代に端を発する列記とした水路隧道です。
ここを入り口とし、余呉川の水を琵琶湖まで運んでいたのです。
さぞかし大変だったことでしょうね。
こちらが流入先です。
用水路は土木の中ではあまり重要視されていない傾向がありますが、昔の人たちにとっては道以上に死活問題だったわけです。
大野庄用水や芝原用水は当ブログでも過去に取り上げています。
今も水を湛えている姿は素晴らしいの一言です。
ちなみにこの中、現在は歩けるようになっているらしく、近くの管理小屋にはヘルメットと懐中電灯が置かれていました。
僕としては人の通ることを想定していない穴は通過しなくてもいいかなと思っているので、通過しません。
しかし、自由に入れるとは驚きです。
ご興味ある方は是非どうぞ。
ここを通らなくても、その息子が僕を反対側へ連れてってくれるのでね!
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