第2次三重遠征第1弾 三重県道608号畑毛東貝野阿下喜線 後編
ここにきて道が良くなってきたような・・・。
というか新しくなったような気がします。
というのも・・・、
交差点を過ぎたから。
しかしここは市道ですからね。
ただここで僕は別のものに目を奪われます。
それは青看板の足元。
全く読めない石碑・・・
磨耗と異字体で全く読めませんでした。
交差している市道は東貝野地区を周回するような路線なので、石碑を設置する意味があまり無いように感じます。
とするとやはりこの石碑は県道側のもの・・・。
しかし中編のコメントによると旧道あるらしいんですよね。
わからんな・・・。
広いのは最初だけかい!!
やはりあの部分だけ改修されたと見るのが自然な気がします。
道の繋がりも自然ですし。
山道区間が再開しました。
今度は下りです。
こういう道は大概下りの方が怖い。
気をつけていきましょう。
比高自体はそれほど違わないはずなのに、やたら険しく感じる西側斜面。
地形的な要因でしょうが、ちょっとした山に迷い込んだ感覚になります。
ここはいなべの中心部から車で10分ほどの場所です。
ここを通学する小学生・・・
車は通らないでしょうが、妖怪と出くわしそう・・・。
日本はまだまだ広いな・・・。
眼前に広がるのは員弁川(いなべがわ)が形作る沖積平野。
その奥に聳えるは斯くも名高き鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)。
谷と山と平野の組み合わせが良くわかります。
ひ・・・左でいいんだよね・・・?
左だとは思いますがこの道ではちょっと不安になります。
ちゃんと左が正解でした。
まさに山際。
町と山の境目の雰囲気がいいですね。
猪とか鹿とか、よく出るんだろうなぁ・・・。
案内なんて無いですよね。
もうそんな扱いですもんね。
仕方ないよね。
諦められてるよね。
あえて違いを挙げるならカーブミラーの設置数が多いくらいでしょうか。
道幅も少し広いくらいのもんです。
そしてここには小学校がありました。
十社小学校(とやしろしょうがっこう)
いわくありげな名前ですが、昭和30年までこの地にあった員弁郡十社村(いなべぐんとやしろむら)に由来しています。
小学校などは比較的長く旧村名が残りますよね。
そしてこれが合図だったかのように、僕の前に衝撃の光景が現れました。
十社別れ!!!
まぁ分かるでしょうけど。
当然指定はこうですからね。
やってくれるぜ。
一発でいけるか・・・。
さすがにセレナちゃんで一発ではむずかしかったぜ・・・。
しかしコンパクトカーならいけるんじゃないでしょうか。
軽なら余裕かな。
これ読めないんだよなぁ・・・。
恐らく道関係の石碑なんでしょうけど。
モノリスと化してますよね。
もう20年もすれば読める人は相当少なくなりそう・・・。
ポーネグリフ?
10人が10人直進するよね
まさかここで県道が折り返しているとは。
一応見える位置にヘキサがあるのが唯一の救いか・・・。
一応見える位置にヘキサがあるのが唯一の救いか・・・。
さぁそろそろゴールへ向かいましょう。
そのときは近いはずです。
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