石川遠征第5弾 真浦隧道 前編

鞍崎隧道を離れて程なく。
西進を続ける僕の前に真新しいトンネルが現れました。

逢坂隧道(おうさかずいどう)

この風体で隧道を名乗るとは。
しかし最近隧道を名乗る新しいトンネルが増えてますよね。
隧道という呼称が浸透してきたってことなんでしょうか?
まぁトンネルって呼称の方が後なんですが。
そして新し目の旧道。
明らかに呼ばれてます。
ちなみに場所はこちら。
珠洲市(すずし)と輪島市(わじまし)に跨る景勝地、曽々木海岸(そそぎかいがん)に差し掛かるこの辺り。
当然、海岸線はその険しさを増してきます。
そこで海側に向かい道。
期待は高まります。
鞍崎隧道よりは厳しめですが、脇が甘い封鎖をすり抜け先に進みます。
ここから先は事実上の廃道ということで良さそうです。

廃道・・・?

えらく綺麗なんですが・・・。
私道とかじゃないだろうな・・・。

逢坂隧道の竣工は昭和58年。
30年以上前の旧道とは思えません。
最近まで使われていた可能性が高いですね。
同じ奇岩景勝である越前海岸を見ている福井県民ですが、やはりここの岩々は非常に目を引きます。
溶岩由来と思われる紋の付いた岩。
こちらも見ていて飽きません。
やはり観光道路らしく休憩スペースがありました。
越前海岸にもこういうの良くありますね。

今は絶対停めたくありませんが。

ぼっこぼこになるよ!!
そしてかつてはここで車両通行止めが行われていようです。
つまりは遊歩道化。
この辺りでは旧道の生きる道は歩道化だったようですね。
明らかに真新しい法面。
少なくとも30年前ということはないでしょう。
これで廃道だってんだから・・・。
人工的なものかと疑いたくなるほど平らな海岸。
どういう理屈でこうなるかはわかりませんが、自然の力を感じます。
しかし僕は知っています。
恐らくこの遊歩道が立ち入り禁止になった理由も、自然の力だということを。
物々しい2車線幅の道を突き進みます。
法面がっちがちのおかげで落石ひとつないのが逆に不気味。
こんな廃道初めてです。

・・・いや、一つあったな。
やはり共通点がありますね。

難 攻 不 落


そんな言葉が聞こえてきそうな法面の固め具合。
そこまでしないといけなかったんでしょうね、きっと。
冬場は波にも洗われるのでしょう。
強烈です。

!!!

あの奥に見える丸い穴。
間違いなく廃隧道。
あれこそが今回のレポの主役です。
この距離から見えるのは海の廃道ならではですね。
路肩の草が全て海側に引っ張られています。
これはつまり、波がここまで届いているという証。
これは現役時代も当然、波をかぶってたってことでしょう。
そりゃ新トンネル建設の話も出ますわな。
もしかしてこの道にあまり落石が無いのって・・・、

石が落ちる度に波に洗われてるからなんじゃ・・・


そう思ったのがこの切り通しの場面。
海側にも岩があるこの場面では明らかに多くの落石とゴミが集まっていました。
つまり波に引きずられた物たちが障害物である岩にぶつかって流れ溜まったということでしょう。
だとしたらこの道、見た目以上に相当ヤバい道だったのかもしれません。
敦賀にはしおかぜラインという道がある関係であまり感じませんでしたが、
日本海という荒海にこれだけ近い道も珍しい
この日は凪だけど荒れてたらどうなるんだろう・・・。
見てみたい気もしますが、命がいくつあっても足りない気もする・・・。
近づいてきました。
しかし強烈な逆光で、肉眼でもこんな感じの景色でした。
そんな中にあって、隧道の強烈な黒は際立っていますね。

・・・こわぁ・・・

やはりここは廃道ですよ。
ネットが破れようが、もう誰も直すことは無いのです。
そして貯めに貯めて、主役の登場。
ややぶれた写真は心の焦りか(笑。
あえてこの角度からご紹介。

真浦隧道(まうらずいどう)

地名由来の由緒あるお名前、新トンネルの「逢坂」はどういう由来なんでしょうかね。
後付け感漂うコンクリートポータルが歴史の重みを漂わせています。
後付け感あるねぇ・・・。
昭和25年竣工ということなので、前回の鞍崎隧道とほぼ同時期。
戦争直後と言ってもいいでしょう。
こちらの方が長持ちしたということですか。
ポータル自体も昭和37年と若くはない。
やはり新トンネルは必要だったということですね。

しかしここ。
前回も言った通り、江戸時代から道はあったはず。
そこに隧道は考えにくい。
つまりはあるはず。
あるんだよなぁ、これが・・・。

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