岐阜遠征第3弾 関ケ原橋

関ケ原町(せきがはらちょう)

本州のほぼ中央に位置し、岐阜県のほぼ西端に位置する街です。
関ケ原と言えば皆さんはやはりアレを思い出すでしょう。

関ケ原の戦い

歴史に詳しくなくても日本人なら皆が知っている戦いです。
他にも古代三関の一つ、不和の関が置かれていたり、日本最古の乱とされる「壬申の乱(じんしんのらん)」の舞台となるなど、交通の要衝らしく歴史に事欠かない町です。
そんな関ケ原、実は第2次世界大戦の際にも活躍していたのです。

関ケ原陸軍火薬庫

盆地であり、なおかつ交通至便であるこの地はまさに火薬庫にはうってつけ。
当ブログでも関連した隧道を紹介しています。

しかし火薬庫があるということは軍用車がそこに集まるということ。
ということは当然、軍事政権下の日本なら道にお金が注がれます。
今回紹介するのはそんな橋の一つ。
レポスタート!

不破郡関ヶ原町

ここもよくやってきます。
三重県北部、福井県西部からアクセスしやすいので、助かります。
火薬庫が作られる理由もわかります。

そして今回の目標はもう見えています。
こいつは渋い橋です。
關が旧字体ですね。
歴史を感じます。

昭和16年3月竣工

やはり戦前の橋でしたか。
戦前とは言っても、真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発したのは同年12月。
軍の緊張がピークに達していた時期と言えるでしょう。
コンクリートではない人工石の風合い。
中には丸鉄筋が通されています。
これだけでこの橋が潜り抜けてきた修羅場の数が想像できます。
よくあの戦争を潜り抜けたもんです。

ところでこの橋。
川が見えないと思いませんか??

JR東海道本線

関ケ原の開業が明治17年。
架線橋としてはかなり古い部類ですが、時代としては丁度かけ替え時期ですね。
ちなみにこちらは米原方面。
そしてこちらが大垣方面。
撮影スポットとしては結構いいのかな?
電車にはあまり興味が無いのでわかんないや。
廃線は楽しいんですけどね。

なにがあった親柱!!

いや、この状況ですから容易に想像つきますが・・・。
やられちゃったんでしょうね、自動車に。
それでも名前部分だけは無傷なのは奇跡か。
親柱としての最低限の仕事は果たしています。

というよりも実は上の写真の3本の親柱は全て上部が破壊されていました。
完全に無事だったのは1本のみ。
その雄姿をご覧ください!

オシャレじゃないか!!

もとはこんなに素敵な親柱だったんですね。
この部分が現存しているのはここだけ。
切ないですねぇ・・・。

古い鉄筋コンクリートにありがちな丸い鉄筋。

近年ではまず使われないものです。

この時点で古い橋だというのはわかっていました。

まぁ欄干ですし、そこまでの強度は要らないんでしょうが。

架線橋という特殊な橋。

しかも戦前橋というのはなかなかのレアケースです。

けどこれ、近い将来架け替えが検討されそうだなぁ。

国道の現役戦前架線橋

知られていない稀有な存在は今も、交通の要衝関ヶ原で仕事を全うしています。

少しでも長く、その雄姿を見ていたいものです。


以上、関ケ原橋編

この道往けば act2

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