三重遠征第4弾 五僧峠 前編

地蔵峠から下ってきた先で見た衝撃の光景

杉坂峠、地蔵峠と辿ってきた者にとっては、等しくこの光景は衝撃的なものに映ると思います。

この位置にこの規模の集落はあり得ない!

今来た道以外、道はない

あったとして作業林道などのここ以下の道でしょう。

滋賀県に属しているこの集落、滋賀県の街に出るためには毎回あの路を通らなければならないということ。

緊急時はあそこを救急車が走るのか・・・?

旧脇ヶ畑村(わきがはたむら)

犬上郡(いぬかみぐん)に属していた自治体です。

ここはその脇ヶ畑村の中心だった集落「保月(ほうづき)」。


実はこのエリア、一部の趣味の方には非常に有名なポイントなのです。

この旧脇ヶ畑村、なんと、

かつての村域全てが廃村となっている稀有なエリアなのです。

村というのは集落としての村ではなく「市町村」としての村。

かつて存在した一つの市町村が丸まる一つ廃村になってる。

確かにマニア垂涎のポイントでしょう。

ただし、ここはかつて小学校があった中心村落。

今も定期的に人の手が入っていることがわかります。


しかし常住者0という現実は重い。

人が住まなければ、村は自然へと帰っていきます。

同じ滋賀県でいえば、尾羽梨や鷲見ように・・・。

保月集落を抜けると、かつて存在した最終集落エリアに突入します。

ちなみに脇ヶ畑村は3エリアで構成されていました。

杉坂峠編で登場した「杉」そして今抜けた「保月」、さらに最も奥地にもう一つ集落がありました。

そここそが、今回目指した峠の名を冠す集落

廃村「五僧」(ごそう)

そしてここまで僕を連れてきてくれた県道は、ここで唐突に役割を放棄します。

県の管理ではここまでが限界ということか。


ここからはアサハギ谷林道という林道にお世話になります。

3本の林道を乗り継げは、岐阜県側端点に至れるはず。

セレナちゃんにはちょっときつい行程ですが頑張ってもらいます!

あんまり変わらんやないか(笑)

まぁここまでの県道があんまりだったんでね。

しかしまだ最序盤。

ここから道が変貌することなんてよくあることです。

道の左を流れる川が「アサハギ谷」のようです。

鈴鹿山脈の最上流部に位置するこの辺りは、谷が密集するエリアでもあります。

その分、ひとたび台風が直撃するとえらいことになります・・・。

この道は別名として島津越えと呼ばれ、関ケ原の合戦での島津義弘に由来する名前が付けられるほど古くから存在している峠道です。

ようするに山を削ったり、桟橋かけたりといった無茶をしなくても、何とかなる地形だったということ。

現在でも比較的穏やかといえますね。

川とともに登る峠道は標高のわりに高さを感じにくいことがありますが、ここもその一つ。

ただ実はこの峠道の最高標高地点は地蔵峠だったりするんですけど。

ちょっとやばくなってきたか・・・。

落石が増えてきました。

まぁこの右の状況を見てれば落石がないほうがおかしい。

素っ裸の岩肌が続いています。

さて、道が大きく左にカーブしています。

しかし川は直進、つまり橋の登場です。

そして目指す岐阜県は川の左岸側。

ここからの急展開が予想されます。

ここで新たな林道に合流します。

新たなステージに入るには非常に印象的な林道同士の交差点ですね。

さぁここから、最終ステージに入る!

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この道往けば act2

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