第2次富山遠征第1弾 石川県道・富山県道10号金沢湯涌福光線 中編
前編最後のこの写真、富山県側の県道10号はいよいよ本気を出してくるようです。
しかし通行止めゲートもここまでなんですよね。
これは県ごとの管理の違いというのが大きいのでしょう。
ここから先もそうそう改善はしなさそうです。
峠からも林道が伸びていました。
こういう林道レポ、最近できてないんですよね。
やっぱりバイク欲しいなぁ・・・。
そしてこういうところにあるヘキサは愛さずにはいられない。
南砺市(なんとし)がテープで貼りなおされているのもいい感じですね。
かつては西礪波郡福光町(にしとなみぐんふくみつまち)だったエリアにこれから突入します。
現在は頻出している利賀村と同じく南砺市の一部を形成しています。
ちなみに南砺市となった自治体では唯一の西礪波郡の町だったみたいですね。
振り返ると石川の県都、金沢。
金沢にもこういうところあるんですよ。
東京にも青ヶ島とかありますもんね。
秘境は住所に騙されてはいけないということです。
湯涌峠を越えると道は下りに転じます。
そしてすぐに下り側の見どころが現れることとなります。
下り始めるとすぐに湖が見えてきました。
雰囲気的にこれが自然の湖ではないことはなんとなくわかります。
どこがどうというのは門外漢ですが、この趣味をしているとこの施設とは切っても切れない仲になりますので。
刀利ダム(とうりダム)
小矢部川上流部に位置するドーム型アーチ式コンクリートダムです。
富山のダムといえば黒部ダムが有名ですが、この刀利ダムを建設したのも同じ間組という会社です。
アーチ式ダムは設計が難しいですからね。
やはり実績があるところが選ばれるのでしょう。
そしてダムといえば住民移転の悲哀が語られるもの。
ここもその一つです。
もともと刀利エリアは倶利伽羅峠の戦いで有名な木曽義仲の郎党が落ち延びた里として生まれたといわれています。
ダムのある刀利谷は源氏谷という別名があるくらいです。
ちなみに倶利伽羅峠の戦いで敗れた平家はこの近くの臼中谷に逃げ込みました。
その後の、粟津の戦いで敗れた義仲軍はそのすぐ隣の刀利谷に逃げ込んだのです。
歴史というのは不思議なものですね。
かつては金沢から尾張岐阜を目指す最短ルートの一部を担っていた刀利村ですが、1950年代の水害によってダム建設の要望が高まります。
反対運動もあったようですが、1967年に刀利ダムが完成しました。
ダム建設はそれぞれの立場からいろいろな意見が出るので、ドラマが生まれますね。
刀利ダム本体が見えてきました。
やはりアーチダムの独特の形状は巨大建築物の魅力の一つですね。
重力式やロックフィルもいいですが、ダムといえばこのアーチを想像する人も多いのではないでしょうか。
こちらの石像は松村謙三氏の像だそうです。
刀利ダム建設に携わった方みたいですね。
竣工碑と共に佇む姿がいい感じです。
このアーチゆえのカーブ道路
これがアーチダムの天端の特徴です。
道幅も当然狭いので、十分気を付けて進まなければなりません。
喫水率最高レベルの刀利ダム。
樹木が沈んでますね。
これだけの水位変動はやはりダム湖ならでは。
このダム湖には特に名前はついてないようですね。
刀利谷
いかにも山深い。
落ち武者の里と言われるのも納得です。
ちょっと下を向いてみますか?
たっか!!
どこがとは言いませんが縮み上がる高さです。
鳥目線とはまさにこういう視点なんでしょうね。
この刀利ダム、ダム好きの間ではイケメンダムとして知られているようです。
たしかにオレンジ色のキャットウォークがかなりおしゃれ。
そしてアーチ式がメインではありますが、一部は重力式ダムの特徴も備えているそうです。
それも黒四ダムと同じですね。
特性もりもりなのはイケメンですね?
いわゆる余水吐き。
非常用なのでこいつが使われるときはダム崩壊の危機だということ。
並んでてかわいいですが、重要な施設です。
そしてめっちゃ気になったのがこれ。
これって廃隧道っぽく見えるんだけどなぁ。
違うのかなぁ。
アーチがそう見えるだけで、実はただの車庫なのかもしれませんが。
これは調べたけどわからなかったんだよなぁ。
というのも・・・、
刀利隧道(とうりずいどう)
こいつがいるから。
しかしなかなかにスキューしてるな。
この時点で変態的な匂いを感じる隧道です。
ちょっと正面に回ってみましょう。
ここから先の道が思いやられる姿。
富山県道54号福光上平線
(ふくみつかみたいらせん・レポ未)
ここはかの大御所をもってして「南砺険道3兄弟」と呼んだ南砺のダメ主要道の次男。
隧道右上にもしっかりと「通行止め」と書かれています。
しかしこの隧道自体は通れそうですし、ちょっくらお邪魔させていただきますか。
隧道だけでも味わいたいもんね。
当然のように素掘り吹付。
ここからの道のりの険しさを考えれば相応しい演出です。
抜けた先が楽しみですね。
一筋縄ではいかないな。
隧道の終わりを工事中でしっかり目の幅員減少。
ということは直す気はあるってことなのか??
富山県はヘキサを立てる場所を分かってるな。
隧道を抜けた先、これから戦いに挑む者にとって最高の位置です。
気が引き締まりますね。
こっちから見るアーチダムはやっぱりいいな!
そして本当に緊急余水吐きまであとちょっと、まさに満水です。
この下にかつての集落が沈んでいると思うとやはり思うところはありますね。
水量が少ない時は神社跡のようなものが島のように見えることもあるみたいです。
そしてなんだちみは。
思い当たるとすれば函渠なんですけど、中を通るのが人であれ水であれ、あの立地はおかしい。
周りが崩れて孤立したのか?
ご存じの方情報ください。
振り返ればそこには訪台だらけの隧道の姿が。
ミイラみたいだな。
この先にある集落はすべて刀利ダムによって廃村となったと聞いています。
中河内、下小屋といった県道沿いの集落は水没こそ免れていますが、常住者はいないようです。
その途中には長瀞峡(ながとろきょう)という秩父の名所と同名の峡谷が控えています。
そしてその奥に控えるブナオ峠(レポ未)の存在感。
ここはぜひレポしたい場所なんですが、徒歩以上の移動手段を持たないと確実に詰むエリアなんですよね。
いずれ攻略したい・・・。
そして、今回はあくまでも県道10号の探索です。
次回はこの隧道を戻って先へ進みます。
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