第2次紀伊半島遠征 国道25号非名阪 黄昏の終焉編

黄昏時

古くは「誰そ彼」と書き、出逢った者が人間なのか物の怪なのかわからない仄暗い時間帯を指す言葉です。

その為、この時間帯は「逢魔が刻」ともいい、物の怪がこの世にあらわれる時間とも言われます。

そんな時間に出会っちゃった・・・。

只者ではない予感!!

物凄い存在感!

大和街道架道橋(やまとかいどうかどうきょう)

JR関西本線の架道橋です。

見た目的には隧道のようですが、閉腹アーチ橋の一種ということになるのでしょうか?

明治23年竣工、当時この道がいかに重要な道であったか。

江戸時代には加太越奈良道(かぶとごえならみち)と呼ばれた道。

その重きは、このアーチの意匠が物語っています。


当時、この道を跨いでいた鉄道はJR西日本のほとんどの路線の前身である関西鉄道でした。

官営鉄道からの指定を外れたこの地域の鉄道網を担う一大企業。

非常に特異なポイントだったと言えますね。

イギリス積みのポータル、扁額の部分も暗さで分かりにくいですが、もちろん煉瓦です。

笠石の下には鋸状の意匠が施され、アーチと腰部は石積み。

全体的にまとまりのある、美しい架道橋です。


ただし狭い。

それも仕方ないでしょう。

何せ明治の設計、モータリゼーションなんて想像もしてなかったであろう頃の設計なんですから。

高さ3.7m制限ということは10tはアウトですな。

名阪国道に何かあってもこちらに逃げてきてはいけません!!

板谷の集落に入ってきました。

ここは加太地区の中心地となっていて、小学校も存在しています。

道幅は狭いですが、ここもメインストリートですね。

そしてここは久しぶりの交差点。

蝙蝠峠編ではここを反対側から来たわけです。

三重県道668号関大山田線(せきおおやまだせん)

こっちにも見どころは多いんですが、この暗さじゃまた今度だな・・・。

ここで再び名阪国道と接近するので板谷インターチェンジ(いたやインターチェンジ)に接続しています。

そしてここが非名阪から目視できる最後のインターとなります。

ここからはひたすら、暗い山道との戦い。

日没までにあそこまで行きたい!!

しかし時間とは容赦のないもの。

どんどん周りの景色が見えなくなっていきます。


これはヤバい。

できる限り急ぎたい。

しかしこの山道ではそんなこと言っていられない!!

死んじゃうだろ!!

(八つ当たり)

断続的に山道と集落を繰り返す、川沿いの道の典型的な展開。

奥の山が霧吹いてやがる・・・。

何とも不気味・・・。

山が吹いた霧は谷を沈め、行く手を遮ります。

あれは結構深いぞ・・・。

まぁ1本道なんで、ここで迷ったらいよいよヤバいやつですが。

ここで再びJR関西本線を越えます。

今度は架道橋ではなく普通の踏切。

この踏切の近くにある加太駅とこの付近の最高標高地点である加太隧道(かぶとずいどう)は標高差が110m程もあり、勾配に弱い鉄道では築堤を用いる必要があったのです。

先ほどの大和街道架道橋の奥にある加太隧道は大変な難工事で知られて、日本で初めて立坑を用いた工法が取られたことでも有名です。

一段と暗い・・・。

そして細い・・・。

これはもう夜だな・・・。

一寸先は闇・・・。

隣にあるはずの加太川さえ見えない・・・。

ほら見えなかったじゃないか!!!(涙)

金場隧道(かねばずいどう)

昭和6年竣工、昭和初期らしいのっぺりとしたポータルが趣があって素敵なんですが・・・。

全力で明度を上げてみましたが・・・。

また来ます・・・。

金場隧道を過ぎれば後は消化試合。

終盤の時間不足が惜しまれるな・・・。

センターライン復活!!

こうなればもうあと少し・・・。

最後までボケてんのか!!

国道1号

ここから国道25号は右折して重複を開始し、亀山インターチェンジで名阪国道との合流を果たします。

この交差点は鈴鹿峠編でも登場しましたね。


いやぁ、久々の長編レポ、ちょっと疲れました(笑)。

しかしその分、取り損ねたネタも増えて悪くないんですが・・・。

また来ますよ。必ず・・・。


以上、国道25号非名阪編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

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