馬坂峠 補完編

馬坂峠(うまさかとうげ)

敦賀で最も影の薄い峠。

通る人もおらず忘れられているというわけではなく、現役県道でそれなりの利用者があるにもかかわらず認識されていないというお気の毒な峠。

詳しくは本編をご覧ください。


過去にレポしたとき、僕もあまりの影の薄さに峠では数枚の写真しか撮りませんでした。

しかしやはり峠には歴史あり。

自分の「何もない」という判断がいかに浅薄だったかを思い知りました。


実は公開直後にはこの事実には気づいていたのに、どうせいつか通るだろうという理由で2年近く放置されてしまった申し訳ない状態だったりします。

なんだかなぁ・・・。

それでは僕が見落としていたもの、それを補完編では集中的にレポします!

ここは峠の北側。

本編とは逆からのレポとなります。

馬坂峠

相変わらず峠の雰囲気ゼロ。

そりゃ素通りもされるよねと、妙に納得してしまいます。


問題のブツがあるのは峠の西側斜面。

写真で言うなら右側。

現地的に言うなら敦賀気比高校の校門の隣にあります。

ここが高校野球でも有名な敦賀気比高等学校の正門。

ここから少し右に目を動かすと・・・。

立派すぎて地蔵堂と見られなかったパターン!!

こいつは立派。

早速中を拝見せねば・・・。

見れば見るほど立派な建物・・・。

馬坂峠は現在でこそ知る人のみぞ知る峠となっていますが、かつては信仰の対象となっていたと聞いています。


またかつては戦場となったこともあるようです。

関峠との関係でしょうか。

気比校の生徒は夜に鎧武者を見たという人もいるとか・・・。

集会所まで完備された最高レベルの地蔵堂です。

このレベルは栃ノ木峠と同レベルと言って差し支えなさそう。

どうも僕は立派すぎると見落とす傾向があるようです。

・・・すいませんでした。

注目はぶら下がっている提灯。

馬坂大師

大師というのは明らかに仏教的敬称。

もともとお地蔵様は地蔵菩薩という仏様の化身ですから当たり前ですが。

これほどまでに熱く信仰を集める峠のお地蔵様はなかなかありません。

今後とも地域の宝として、大事にしていきたいものです。

地蔵堂の外にも関連するものがありました。

いわゆる石仏。

本来はこちらのほうが古いものかもしれません。

うっすらと輪郭の残る石仏。

この摩耗こそが石仏の歴史を物語っています。

地元の人でもほんの一握りしか知らないであろうこの石仏の存在。

僕は広く伝えなくてはなりません。

身近にまだこんな素敵な場所があったとは・・・。

この趣味は奥が深いですね。


皆さんも近くの峠のお地蔵様、もう一度よく観察してみてはいかがでしょうか?

意外な発見があるかもしれませんよ??


以上、馬坂峠 補完編

この道往けば act2

福井県を中心とした。酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログ

0コメント

  • 1000 / 1000