三重遠征第2弾 鎌田橋・野尻橋
皆さんは覚えているでしょうか?
キカイダー廃橋こと、庄堺橋。
橋の両側で時代が変わるこの橋。
右から左に歩けば、現代から明治時代にタイムスリップできそうです。
今回紹介するのは現役橋。
しかしこの橋と状況がよく似ているので、すぐにここを思い浮かべたのです。
場所はここ!
振り返ったのがこの写真。
既に1つ目の橋が見えていますね。
この先「鎌田橋」
老朽化の為総重量9tを超える車両は、
通行禁止
なかなかそそる文句じゃないか。
誘ってやがるな・・・。
あれが現道の鎌田大橋(かまたおおはし)。
それでは大きくない方の「鎌田橋」にご登場願いましょう!!
ふつぅ・・・
拍子抜けするほど普通の橋でした。
しかしこの橋、実は昭和5年竣工という戦前を知るナイスシルバー。
改修によってその面影はほとんどありませんが、やはり寄る年波には勝てないようですね。
補修改修が2014年5月に予定されているそうです。
鎌田橋を過ぎると再び注意喚起板が現れました。
この先にもう一つある橋に対するもののようです。
この先350m
「野尻橋(のじりばし)」
総重量4tを超える車両は、
通行禁止
鎌田橋が9t制限だったのに対し、野尻橋は4t制限。
5~8tで鎌田橋をすり抜けた車もここでふるい落とされます。
4t制限・・・。
これはこれで範囲がややこしい言葉ではあるんですが、「総重量」ということは車両総重量と積載量を足した重さということでしょう。
ということはこれはかなりシビアな制限と言えます。
限定解除なしの普通免許で乗れるトラックでも引っかかります。
しかしこれをみればそれも納得でしょう。
そしてレポ一番上のあの橋を思い出してください。
いきますよ。
トリコロール来ちゃった!!
これ・・・。
完全に一回流失してるよね・・・。
昭和10年竣工、戦前生まれ。
ますます一番上のあいつと経歴が似ています。
違うのは今も現役か否かのみ。
いつこのような状況になったのか机上調査をしてみましたが、2009年(平成21年)に災害復旧工事を行うとあったので、このタイミングが疑わしいと思われます。
そして素晴らしく立派な親柱です。
古くは濃州街道(のしゅうかいどう)として栄えたこの通り。
巡見街道(じゅんけんかいどう・めぐりみかいどう)と同義とされることもありますが、三重県内では別の街道として認識されています。
当時のこの橋の重要性が窺えます。
親柱の手前には折れた標識ポール。
かつてはおそらく4t制限の制限標識があったのでしょう。
折れたのはいつ頃なのでしょうか?
腐食具合がなかなか凄まじいです。
そして親柱の頭部分がありませんね。
これも流失でしょうかね??
境目の欄干には流失の際にできたと思われる傷がありました。
流石に補強工事でこんな跡は残らないでしょう。
不可抗力によって橋の中央部分が流され、流失部を再建改修したというのが、このトリコロール橋の正体です。
やや廃の匂いが漂っています。
こっちも親柱の頭が取れてますね。
上流側ですし、やはり流失したと考えるべきでしょう。
そしてやはりここは見ておかないといけないでしょう。
超立派な橋脚!!
これは後年補強されたものでしょう。
そして流失区間は丁度2径間ということがわかりました。
2009年時点では全区間がコンクリート製の欄干だったことが確認されているので、この5年間のうちに流失があったと考えられます。
ご存知の方、教えてください!
橋を過ぎれば街道らしい緩やかなカーブを描いた道が伸びていました。
この線形も好きだなぁ。
しかし何を隠そうこの2本の橋。
小粒で終わらせられない事情があるのです。
それはその肩書き!
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